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「三浦半島日和」オープン1周年に寄せて

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「三浦半島日和」をオープンしてから、1周年を迎えることができました。

ちょうど今が旬の桜特集はたいへんご好評いただいているようで(少なくともGoogle先生には)、2022年3月はサイト全体で月間5万PVを大きく超えるアクセス数をいただいています。

地域情報サイトでも、「キュレーションサイト」と言えば聞こえは悪くありませんが、他サイトを引用しているだけの単なる「まとめサイト」のような質の悪いサイトも少なくない中、「三浦半島日和」はオリジナルの文章や写真、動画にこだわっています。そのため、1年目は寡作だったと言わざるを得ません。

とくに特集記事は、定番と言えるようなものは晩秋の紅葉の特集がはじめてで、当然のことながら1から作らなければならない1年目はとても時間がかかります。これから、春、夏、秋と、定番の特集記事が1周まわれば、もう少しいろいろなことができるようになっていくと思います。

その一つがSNSの運用です。
現在は、ひとまずアカウントを用意しましたという状態で、SNSならではの使い方ができていません。少ないながらも、せっかくフォローしてくださった方々には、まったくコミュケーションがとれていなくて申し訳ないです。もう少し余裕ができたら、SNSも活用していきたいと思っています。

最後に、1周年らしく、初期の特集記事の振り返りをしてみたいと思います。

記念すべき第1回の特集は「稲村ジェーンと三浦半島」。
1990年の映画「稲村ジェーン」のロケ地を解説するというものでした。ちょうど、はじめてのブルーレイ/DVD化のタイミングに合わせての企画でした。
映画「稲村ジェーン」では、三浦半島の各地でロケが行われました。そのいくつかの場所は、この30年で様変わりしていて、昭和時代の三浦半島を見られる貴重な映像作品でもあります。

「湘南なんて誰も言わないの。このあたりじゃあ、ここは稲村、稲村ヶ崎」
これは、映画「稲村ジェーン」の劇中に登場するセリフです。
不動産業界を中心に、三浦半島でも「湘南」という名前を目にすることがあります。同じように、横須賀なのに「南葉山」という名前を使ってみたり。外部の人たちからみたら、これらの一種のブランド名はよろこばれるのでしょうし、イメージ戦略としては間違っていないのかもしれません。
しかし、地域に根ざした人であれば、もっと、本来の、オリジナルな地名だったり文化にほこりを持とうよ、と思うのです。
広義の「湘南」エリアには、鎌倉・逗子・葉山は含まれるわけですが(諸説あり)、ネイティブな人たちの口から、自分は湘南に住んでいるという言葉を聞いたことはありません。

とは言え、戦前の京急は、横浜の黄金町駅以南は湘南電気鉄道という名前の会社だったり、現在「京急○○駅」という駅名は「湘南○○駅」だったり(例:「京急久里浜駅」は「湘南久里浜駅」だった)、古くからその定義はあいまいだったことも事実としてあります。

第2回の特集はその京急に関するもので、「京急の歌う電車 ドレミファインバータが走った最後の夏」でした。
1998年からおよそ四半世紀にわたって沿線住民に親しまれてきた、「京急の歌う電車」がすべて歌い終えるというタイミングに合わせての企画でした。

品川駅から京急久里浜工場まで走った、「京急の歌う電車」を使った最後のイベント電車では、全区間の側面展望を動画で撮影して、特集記事上で公開しました。
乗車時は、写真を撮ったり、側面展望用の定点カメラとはまた別のカメラで動画を撮ったりと、あわただしく取材をしていたのであまり気づかなかったのですが、沿線の各駅や、とくに三浦半島に入ってからの電車を間近に見られる地上区間の沿線では、あきらかな鉄道ファンはもちろんのこと、親子連れでお見送りに来ている人たちも見られ、いかに「京急の歌う電車」がいろいろな人たちに愛されていたのかということを実感しました。
京急ならではのオリジナルな電車が消えていくのはさびしいことですが、はじまりがあれば、必ず終わりがくるものです。これだけ注目をあびた「京急の歌う電車」は、しあわせだったことでしょう。

ですが、そこにあって当たり前だったものも、いつの間にかひっそりとなくなっていくものがほとんどです。映画「稲村ジェーン」の劇中で見られる、今はもう見ることができない30年以上前の三浦半島は、こちらに当てはまります。

季節やイベントに連動した定番の特集記事は作りつつ、こうした、失われていくものに焦点を当てた特集もまた作っていくつもりです。

KUROFUNE Journal
KUSAYANAGI Junichi

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