1990年に公開された映画「稲村ジェーン」は、主に鎌倉の稲村ヶ崎を舞台にした物語です。稲村ヶ崎の海のシーンは主に伊豆の弓ヶ浜で撮影されましたが、古都の雰囲気が残る鎌倉や米軍の進駐によってアメリカ文化の影響を受けた横須賀など、三浦半島各地もロケ地として使われました。
「稲村ジェーン」は、昭和の三浦半島の風景を見られる貴重な音楽映画です。
STORY
夏の終わりのある朝、ロングボードをミゼットに積んでヒロシ(加勢大周)が稲村に帰ってきた。ヒロシを待ち受けていたのは、伊勢佐木町のチンピラ、カッチャン(的場浩司)だ。ボスの骨董壺を横流ししたラテン・バンドのリーダー、マサシ(金山一彦)を追っていると言う。そんな所へ、横須賀の波子(清水美砂)という飛び切りイイ女が現れる。
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LOCATIONS
1964年に開催された東京オリンピックの翌年を画いている映画「稲村ジェーン」は、映像を時代背景にあわせるために、さまざまなロケ地を使用しています。
鎌倉市の稲村ヶ崎がメインの舞台ですが、この映画が撮影された1989年~1990年当時は高度成長期を経てバブルの真っただ中で、すでに周辺の開発が進んでいたため、海岸のシーンの多くや、ビーナス、骨董屋といったオープンセットは伊豆で撮影されました。
とは言え、稲村ヶ崎やその周辺の雰囲気はそこでしか出せないものもあり、戦後に進駐米軍の拠点となった横須賀の影響を含めて、三浦半島でも多くのシーンが撮影されました。
映画「稲村ジェーン」の桑田佳祐監督のお母様は三浦市の三崎出身のため、桑田佳祐監督には半分、三浦半島の血が流れています。もしかしましたら、監督自身が幼いころに影響を受けた風景だったり雰囲気が反映されている部分もあるのかもしれません。
この記事を書くにあたっては、映画の公開からさらに30年以上が経ち、撮影当時存在していたものの多くが姿を変えていたり、失われてしまったような場所もあります。
「稲村ジェーン」は、昭和時代の三浦半島の風景や文化・風俗を語るうえでも、貴重な史料と言えます。(もちろん、フィクションも多く含まれます)
ここでは、そんな、映画「稲村ジェーン」に登場するシーンを、実際に撮影で使われた場所(1~4ページ)と、ストーリー上の設定として登場する場所(5、6ページ)に分けて紹介します。
撮影場所
江ノ電・極楽寺駅周辺
映画の冒頭でミゼットが走るシーンで、江ノ電・極楽寺駅や、極楽寺駅~稲村ヶ崎駅間を走る江ノ電の電車や踏切などが登場します。
江ノ電や「極楽寺駅」という看板が登場することで、稲村ヶ崎がもう近いことを暗示しています。その後のヒロシ(加勢大周)とマサシ(金山一彦)のセリフから、伊豆からの帰り道であったことが分かります。
なお、このシーンの前にミゼットが交差点を曲がってくる場所で、「ZUSHI」「HAYAMA」とともに書かれている「CAMP McGILL」は現在の陸上自衛隊武山駐屯地(横須賀市御幸浜)で、1958年(昭和33年)に日本に返還されるまではキャンプ・マクギルとして米軍が接収していました。