ハイランドの地獄坂は、久里浜2丁目の久里浜中学校裏からハイランド4丁目にかけて急な登り坂が続く坂道です。「地獄坂」という名称は、その過酷な急こう配&急カーブゆえ付けられた通称で、正式な坂道の名称になっているわけではありません。
地獄坂が急こう配な区間はそれほど長くはなく、200m少々といったところです。この区間の勾配は、約17.5%(約9.9度)ほどです。地獄坂が地獄坂と呼ばれているゆえんは、この急こう配にヘアピンカーブが組み合わさったところにあります。
近くを並行して走る尻こすり坂も急坂として有名ですが、だいぶあとに造られた地獄坂のほうがよほど急坂というのもおもしろいところです。
このような坂が、山などの特殊な場所にあるわけではなく、住宅地と住宅地を結ぶ市街地の道路で見られるのは、坂道が多い横須賀らしい風景と言えます。しかし、ここまでの坂道はめずらしく、地獄坂は横須賀でもトップクラスの激坂として知られています。

INDEX
湘南ハイランド分譲地とともに誕生した地獄坂

地獄坂の歴史はそこまで古くはなく、戦後の高度経済成長期に、湘南ハイランド分譲地の開発とともに開通した道です。直接、前身となるような道もありませんでした。
坂の上に広がるハイランドは、久里浜と野比の間の山林を切り開いて開発された大規模な住宅地です。1965年(昭和40年)から山万によって開発され、「湘南ハイランド」として1968年(昭和43年)より分譲が開始されました。この開発によって誕生した横須賀市ハイランドは、日本ではじめてのカタカナの町名とされています。
ハイランドと久里浜を結ぶ2つの坂道

ハイランドから最寄り駅の京急久里浜駅・JR久里浜駅(当時はそれぞれ、京浜久里浜駅と国電久里浜駅(※))方面を結ぶ道は、自動車が通行できるものとしては、尻こすり坂と地獄坂の2本に限られています。(※JR/国電久里浜駅の正式名称は今も昔も「久里浜駅」ですが、京急の駅と区別するため、地元では一般的に「国電」や「JR」を頭に付けて呼ぶ習わしがあります)
このうち、尻こすり坂上に設けられたハイランド入口が、ハイランドのメインの玄関口という位置付けになっています。久里浜とハイランドを結ぶ路線バスも、ここを経由します。
この尻こすり坂上は、ハイランドの住宅地南東の端に位置しています。
これに対して地獄坂は、ハイランドの住宅地北東と久里浜の市街地を結んでいるため、住宅地北側の人たちは地獄坂を使ったほうが久里浜方面へはショートカットできます。ただし、バスは走っていないため、交通手段は自動車か徒歩に限定されますし、激坂であることを許容できればということになります。
利便性を確保するため通された生活路
一方、住宅地西側の粟田方面に接続する道は大きく分けて4本設けられています。この違いは、海に面した低地に広がる久里浜と台地状の高台に広がるハイランドの高低差があまりにも大きいという、地形的な制約が大きかったと考えられます(内陸に位置する粟田とハイランドは、久里浜とほど高低差がありません)。
まちづくり的に、通過交通を限定できることにより閑静な住環境を保つことができるというメリットも考慮に入れて計画されたはずですが、それ以上に、地形的に、久里浜方面からの進入路は、増やしたくてもそれは容易ではなかったと言えるでしょう。
明治時代に切通し状に開削されて勾配が緩められた尻こすり坂も、かつては浦賀から久里浜を通り三浦・三崎に至る三崎道有数の難所として知られていました。尻こすり坂のような歴史の古い道は、まだ比較的アクセスしやすかったルートを改良して現在に至りますが、地獄坂はそのような元になる道すじもない場所に造られました。少々乱暴な言い方をすれば、利便性向上とおそらく防災上の観点も考慮に入れて、無理やり通された道と言うことができるでしょう。
しかし、ハイランドの一部の住民にとっては、この道があるのとないのとでは、まさに天国と地獄ほど利便性に違いがあることは事実で、地獄坂などと呼ぶのは失礼なのかもしれません。

ハイランドの地獄坂周辺の見どころ




