龍華寺は、金沢八景駅と金沢文庫駅の間の横浜市金沢区洲崎町にある、「華の寺」として知られる古刹です。
寺のはじまりは、平安時代末期の文治年間(1185年~1190年)、源頼朝が文覚上人とともに、瀬戸神社の別当寺として六浦の山中に創建した浄願寺で、その後、室町時代中期の1499年(明応8年)に、融弁上人によって現在地にあった光徳寺と統合され、龍華寺となったと伝えられています。
開基の菅野資方は、扇谷上杉家の家臣です。他にも、扇谷上杉家の筆頭重臣(家宰)である太田道灌が不動明王像を、古尾谷重長が梵鐘を寄進するなど、龍華寺の創建には扇谷上杉家の家臣団が深く関わりました。
1591年(天正19年)、徳川家康が龍華寺を訪れた際、寺名を「りゅうげんじ」と伝え間違え(あるいは、聞き間違え)、これを聞いた家康は「立源氏」という響きは吉兆の寺号だと言い、「龍源寺」と名付けさせたという逸話も残っています。
山号 | 知足山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
寺格 | ― |
本尊 | 大日如来坐像 |
創建 | 1499年(明応8年) |
開山 | 融弁 |
開基 | 菅野資方 |
龍華寺の境内では、本堂前に咲く関東ではめずらしい御室桜や、庭園の牡丹をはじめ、四季折々の花をたのしむことができます。
例年、牡丹の花が見ごろを迎える4月中旬には「ぼたんまつり」が開催されています。
※手水舎は、常に花手水のディスプレイがされているわけではありません。
INDEX
龍華寺の本山である仁和寺発祥の御室桜
龍華寺の本山は、京都・御室にある真言宗御室派総本山の仁和寺です。現在も、龍華寺のある金沢区には真言宗御室派の寺院が多く、13を数えます。その中でも龍華寺は、真言宗御室派の準別格本山という、これらを束ねるような格を持つ寺院です。
龍華寺の本堂の前には、仁和寺が発祥の御室桜が植えられています。御室桜は、他の桜の木より背が低く、遅咲きの桜として知られています。例年、ソメイヨシノの満開の時期と比べて、1~2週間程度遅れてピークを迎えます。
泥亀永島家ゆかりの龍華寺の牡丹
龍華寺のある洲崎町は、現在でこそ一方を平潟湾に面し、それ以外は陸続きですが、江戸時代初期までは、その地名の通り三方を海に囲まれた岬でした。平潟湾から内陸のほうに海が入り込んでいて、現在の金沢八景駅から金沢文庫駅にかけての土地のほとんどは、内海か湿地帯でした。
この場所をおよそ200年に渡って開拓したのが永島家で、後に、開発をはじめた永島祐伯の号「泥亀」から、泥亀新田と名付けられました。
江戸時代にこの地に移り住んだ永島家は、龍華寺の檀家となり、泥亀新田の塩田で成功を収めた財力で火災によって焼失した本堂を再建するなど、龍華寺の大きな支援者となりました。
龍華寺には、今も、永島家一族の墓があります。
かつて野島に邸宅があった永島家には立派な牡丹園がありました。
永島家ゆかりの龍華寺でも牡丹が育てられるようになり、例年、4月中旬から5月上旬にかけて、14種類約200株の牡丹の大きな花が、境内を華やかに彩ります。
現在の金沢区の中心部の基礎を築いた永島家ゆかりの牡丹の花は、「金沢区の花」に選定されています。
龍華寺境内で春に見られる花々
龍華寺の境内では、牡丹桜とも呼ばれる八重桜など、御室桜や牡丹以外にも、多くの花を見られます。
初夏の境内を彩る龍華寺のあじさい
龍華寺は「華の寺」だけあって、梅雨の時期もあじさいが境内を彩ります。ボリュームが多いわけではありませんが、少しずつ、いろいろな種類のあじさいを見られます。
龍華寺境内の見どころ
山門
鐘楼と梵鐘
龍華寺の山門をくぐると、右手に茅葺き屋根の鐘楼が見えます。この鐘楼にかかる鐘とは別に、ガラスケースに入れられて保管されている梵鐘があります。この梵鐘は、室町時代後期の天文10年(1541年)の銘が刻まれていますが、その様式から、鎌倉時代末期に鋳造されたものと見られていて、神奈川県の重要文化財に指定されています。
本堂
地蔵堂
地蔵堂には、室町時代の作とされる地蔵菩薩坐像と、身の丈17cmのまわり地蔵が安置されています。まわり地蔵は、かつて、3日ごとに村の家々をまわって拝まれる風習があったそうです。
六地蔵
横浜金澤七福神「大黒天」
龍華寺には、横浜金澤七福神の「大黒天」が祀られています。大黒天は、招福・金運の神です。