観蔵院は、逗子・桜山にある、現存する唯一の神武寺の塔頭(末寺)です。
神武寺には、観蔵院と同じく桜山の山すそに法竜院と地蔵院、池子の旧日本海軍の接収地(現在の池子住宅地区及び海軍補助施設内)に仏向庵という塔頭がありましたが、いずれも廃寺となり、現在は各寺の本尊が観蔵院に合祀されています。
観蔵院の本尊・十一面観世音菩薩像は奈良時代の高僧・行基の作と伝えられていて、三浦三十三観音霊場23番札所になっています。
この辺りには明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花が、自身の胃腸病の静養のために滞在していたことがあり、観蔵院も鏡花の作品に登場します。
山号 | 蓮沼山 |
宗派 | 天台宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建 | 不詳 |
開山 | 不詳 |
開基 | 不詳 |
観蔵院のある「桜山」という地名の由来は、古くから桜が多かったことによると言われています。
「三浦古尋録」(江戸時代後期)や「三浦郡誌」(大正初期)などといった地誌では、鎌倉時代から室町時代にかけての高僧で作庭師の夢窓疎石が、この地にあった桜を奈良・吉野山に移植したと伝えています。さらに、「逗子町誌」(昭和初期)では、観蔵院の境内前の桜は、その子孫樹であるとも記しています。
INDEX
夢窓疎石による桜山から吉野山への桜移植の伝説
夢窓疎石が奈良・吉野山に桜を持っていたという伝説が残る観蔵院の境内では、現在も桜が多く見られます。もちろん、その時代の桜が残っているというわけではありませんが、「桜山」という地名ゆかりの場所の一つにふさわしい雰囲気があります。
観蔵院の十一面観音と法勝寺の七つ頭の大蛇退治伝説
観蔵院からもほど近い沼間の法勝寺にも、行基作と伝わる十一面観世音菩薩像が安置されています。室町時代に記されたという「法勝寺古縁起」によれば、法勝寺の十一面観世音菩薩像は、人々を苦しめていた七つの頭を持った大蛇を行基が祈祷して退治したときに彫ったものと伝えられています。その後、この十一面観世音菩薩像は寺の衰退とともにたびたび行方不明になりますが、あるとき、「蓮沼」で発見されるというエピソードがあります。
「蓮沼」というのはこのあたりにあった古い地名(小名、小字)で、現在は、田越川に架かる「蓮沼橋」でその名前が見られるのと、観蔵院の山号「蓮沼山」に残っています。
「法勝寺古縁起」では、蓮沼で見つかった十一面観世音菩薩像は現在の法勝寺に戻ったことになっていますが、観蔵院に伝わる十一面観世音菩薩像もまた、七つの頭を持った大蛇退治の伝説の一部なのでしょう。
観蔵院境内の見どころ
本堂
慈悲堂(旧本堂)
現在の観蔵院の本堂は1996年に建立されたもので、それまでは、その右手に建つ慈悲堂が本堂でした。