春日神社は、京急線の堀ノ内駅近くに鎮座する、旧公郷村の鎮守です。かつての春日神社は猿島に鎮座していて、猿島全域を境内としていました。現在地には拝殿が、現在とは逆向きに、猿島の本殿に向かって拝するように建っていたと言います。
現在の春日神社は海から500mほど奥まった場所にあるため、その面影は感じられませんが、地図を確認すると、たしかに参道の延長線上に猿島があることが分かります。
春日神社の境内の前を走る道はかつての浦賀道(東海道から浦賀に至る脇街道)で、昭和初期の三春町の埋め立て開発までは、この通りが海岸線沿いの道でした。現在の公郷町は、JR横須賀線の衣笠駅近くの内陸部に位置していますが、旧公郷村は海に面していて、その先に浮かぶ猿島までも村域に含む、かなり広い範囲を有していました。
主祭神 | 天児屋根命 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 不詳 (平安時代の創建と伝わる) |
祭礼 | 1月1日 元旦祭 1月5日 新年祭 2月11日 建国記念祭「紀元祭」 2月17日 祈年祭「春祭」 6月30日 大祓 7月最終土曜日 例大祭「夏祭」「宵宮祭」 7月最終日曜日 例大祭「夏祭」「神幸祭」 11月23日 新嘗祭 12月31日 大祓 毎月1日 月次祭 |
春日神社の神輿庫の前には、猿島とのつながりを示すように、狛犬ならぬ「狛猿」が置かれています。
INDEX
藤原氏の荘園だった公郷の鎮守
春日神社の創建年は不詳ですが、平安時代と伝わっています。公郷はかつて藤原氏の荘園だったため、その沖合にある猿島に、奈良の春日大社より分霊を勧請して創建されたと伝えられています。
旧暦3月3日には、藤原氏の奉幣使として鎌倉・深沢村より梶原氏の一族である梅沢氏が参向して、関係者一同猿島に渡り、神楽を奏し祭典を催したと言います。
春日神社は、かつて、十嶋大明神とも呼ばれていました。これは、猿島周辺の海域には、猿島の他に、黒島、笠島、平島など9島の小島があり、合計10の島があったためです。島と言いましても猿島以外は岩礁のようなもので、これらのいくつかは現在も見られます。
旧公郷村は、明治に、周辺の4つの村(深田村、中里村、不入斗村、佐野村)と合併して豊嶋村となりましたが、この「豊島」は十嶋大明神の「十嶋」と同じ由来です。その後、豊嶋村は豊嶋「町」になり、明治後期には横須賀町に編入されました。
現在、この辺りに「豊島」という地名は見られませんが、豊島小学校(横須賀市上町)の学校名に残っています。
猿島要塞化による春日神社の遷宮
幕末にペリーが浦賀に来航して久里浜に上陸する出来事をピークに、江戸湾(東京湾)にはこれ以前より頻繁に外国船が現われるようになっていました。これを武力で防御するために、猿島には台場が築かれました。
明治期には猿島の要塞化はさらに進み、1884年(明治17年)には、春日神社も社殿の移転を余儀なくされ、拝殿のあった現在の場所に鎮座することになりました。
春日神社境内の見どころ
神輿庫
春日神社の神輿は、三浦百基の神輿の、現存する数少ない1基とされています。
豊守稲荷神社
春日神社には、境内社として豊守稲荷神社が祀られています。
社務所
春日神社が結婚式にも対応しているということも、旧公郷村の鎮守だったという往時をしのばせてくれます。