田ノ浦神明社(長浦神社)は、かつて田の浦浜に鎮座していた、横須賀・東長浦の鎮守です。主祭神は、神明社で一般的な天照大御神ではなく、日本書紀ではその両親とされる、伊邪那岐命と伊邪那美命が祀られています。
神社名から、田浦駅が最寄りのように思われるかもしれませんが、最寄り駅は安針塚駅です。
田ノ浦神明社についての詳しい由緒は分かっていませんが、江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」には江戸時代中期の1713年(正徳3年)の棟札の存在が書かれているため、それ以前の創建であることが分かります。
1926年(大正15年)には、田ノ浦神明社の隣りに祀られていた幸神社(幸ノ神社、新井宮)の御祭神・猿田彦命を合祀しています。
| 主祭神 | 伊邪那岐命 伊邪那美命 |
| 旧社格等 | ― |
| 創建 | 不詳 ※1713年(正徳3年)以前 |
| 祭礼等 | 4月 春季例祭【春祭り】【湯立神楽】 7月 例祭【夏祭り】【湯立神楽】 ※実際の日にちは異なる場合があります |
田ノ浦神明社に合祀された幸神社は、はじめ、箱崎半島(現在、全域が米海軍の吾妻倉庫地区となっている吾妻島)の荒井に鎮座していました。しかし、荒井一帯が旧海軍の用地として買収されたため、1906年(明治39年)、田の浦浜の神明社の隣りに遷されました。
その田の浦浜一帯も、1926年(大正15年)に旧横須賀海軍軍需部の用地として買収されたため、幸神社を合祀したうえで、田ノ浦神明社は現在地に遷されました。

INDEX
同じようで別の場所を示す「田の浦」と「田浦」

「田の浦」は、近隣の「田浦」と同じような名前ですが、違った場所を示す地名です。時代によって行政区分に変化はありますが、江戸時代後期を基準にすると、「田浦」は現在のJR田浦駅から京急田浦駅にかけての旧田浦村のことで、「田の浦」はその南側に隣接する旧長浦村内の小名にあたります。現在はともに、横須賀市の田浦行政センター管内です。
田浦にも長浦にも、田ノ浦神明社とは別の神明社が存在しますので、この地域の神社名を取り上げる際には、少し注意が必要です。


古い地名を受け継ぐ田ノ浦神明社

田の浦地域の最寄り駅は、京急線の安針塚駅です。安針塚駅から海に向かって延びる谷戸を田の浦と言いました。現在、地名(住所表記)としての「田の浦」はなくなり、その全域が「長浦町」の一部になっています。国道16号の長浦隧道/新長浦隧道を挟んで反対側の長浦町5丁目地域(長浦神明社の氏子区域)と区別するため、旧田の浦地域のあたりは「東長浦」とも呼ばれています。
ただ、今でもこの地域を歩くと、交差点名や公園、川や橋の名前などで「田の浦」の名前を多く見かけます。その代表的なものが、田ノ浦神明社でもあります。
「田の浦浜」は、この「田の浦」の沿岸部にあたる地域を指します。かつての田ノ浦神明社はその山すそに鎮座していました(現在の田浦保育園のあたり。追浜地域へ移転後の横浜DeNAベイスターズ総合練習場跡地の山側)。
旧横須賀海軍軍需部本部最寄りの神社

開業当初の安針塚駅は、田の浦浜の旧横須賀海軍軍需部本部の最寄り駅だったため「軍需部前駅」という駅名でしたが、軍の施設の場所が明るみに出るとの理由から駅名が変更になったという逸話が残されています。
横須賀海軍軍需部とは、海軍で使用する砲弾や魚雷などの兵器類から燃料、食糧、被服といった軍需物資を管理・保管する拠点のことで、長浦や田浦の沿岸部一帯には巨大な倉庫群などが建ち並ぶことになりました。これらの軍需部倉庫は、軍備拡張とともに、久里浜や池子などにも造られました。
田ノ浦神明社の氏子区域である田の浦(東長浦)は、海軍軍需部に買収された沿岸部に住んでいた住民の他、軍需部で働く海軍関係者も住むようになりました。
そのような海軍色の強い地域ということもあってか、田ノ浦神明社の境内には複数の奉納砲弾が安置されています。


田ノ浦神明社境内のその他の見どころ



田ノ浦神明社(長浦神社)周辺の見どころ






