深浦湾は、東京湾に面した長浦湾北岸入口付近に、深く入り込んだ入り江です。南岸(西岸)は深浦漁港、深浦ボートパーク(よこすか・ふかうら海の駅)の船舶係留施設、京浜ドック、米軍施設として利用されていて、海岸線の一部は散策がしやすいように、ボードウォークが整備されています。一方、北岸(東岸)には工業団地が広がっていて、海岸線は深浦湾堤防と呼ばれる護岸が断続的に続いています。
この深浦湾堤防はレジャー施設や公園のように整備された場所ではありませんので、トイレも駐車場もありません。また、特別、景色が良いというわけでもありません。観光地としておすすめできる環境ではありませんが、漁港・マリーナ・造船所(ドック)・米軍施設という、横須賀の港らしい風景の縮図を見られる唯一無二の場所と言えます。
付近に漁港や船舶係留施設などがあり、すぐ側を船舶が航行するため、深浦湾堤防では投げ釣りが禁止されています。また、当然、密漁にあたる行為も禁止されています。(詳細は現地の案内板にしたがってください)

海軍航空技術廠が置かれていた深浦湾北岸
海の背後にすぐ丘陵地が連なる深浦湾南岸に比べて、工業団地になっていることからも分かるように、北岸は比較的平らな土地が広がっています。しかしもとは、南岸と同じように、北岸も海からすぐ丘陵地が続く横須賀の海岸線らしい地形が続いていました。
明治時代に横須賀海軍航空隊の追浜飛行場の建設がはじまると、隣接地であった深浦湾北岸一帯にはその研究施設などが置かれるようになり、風景が一変していくことになりました。
海軍航空技術廠(終戦時は第一海軍技術廠)と呼ばれたその施設群は、付近の丘陵地の山を切り崩しなだらかにし、その土砂を使い海面を埋め立てることでさらに平地を造り、拡張されていきました。
もとの深浦湾は現在よりも幅広く、奥深い湾でしたが、海軍による埋め立てにより狭まっています。湾内の奥の方には亀島と呼ばれた島も浮かんでいましたが、現在は陸地となっています(金澤紙業や東邦化学工業のあたり)。
現在の深浦湾堤防がある北岸の海岸線は、終戦時点の地形とほぼ変わりありません(護岸整備などの改修はされています)。

現役の横須賀らしい港風景
海軍による埋め立てがはじまる前までの深浦湾やその南岸の榎戸湊は、丘陵地に囲まれた天然の良港として利用されていました。知名度こそ劣るものの、ちょうど規模的にも浦賀湾と似ています。
戦後、旧海軍施設は米軍によって接収された後、その大部分は市や民間に払い下げられました。
現在の深浦湾は、とくに北岸の深浦湾堤防側から見ると、浦賀湾とよく似た風景が見られます。しかし、こちらは現役の造船所(ドック)が稼働しているという点で大きな違いがあります(深浦湾には京浜ドックが所在。浦賀湾の浦賀ドックは閉鎖済み)。そのような意味でも、深浦湾堤防は、生きた横須賀らしい港風景を見られる貴重な場所と言えます。

深浦湾堤防周辺の見どころ






