県立大学駅は、横須賀市東部にある、京急本線の駅です。ホームの有効長が6両編成分しかなく、横須賀中央駅以南の京急線の駅では唯一の普通電車しか停車しない駅です。
駅名の由来は、神奈川県立保健福祉大学の最寄り駅(駅から徒歩約10分)であることによります。神奈川県立保健福祉大学は、神奈川県立栄養短期大学と神奈川県立衛生短期大学の2校を前身に持つ保健・医療・福祉分野に特化した大学で、神奈川県立の公立学校としては唯一の4年制大学です。県立大学駅のある安浦町沖合の埋め立て事業によってできた新しいまち・平成町に、2003年に開学しました。
県立大学駅の歴史は神奈川県立保健福祉大学の開学よりずっと古く、1930年(昭和5年)4月1日、京急の前身の一つである湘南電鉄が横浜の黄金町駅と浦賀駅の間を開通させたときに、「横須賀公郷駅」として開業しました。
その後、1963年(昭和38年)に「京浜安浦駅」、1987年(昭和62年)に「京急安浦駅」へ改称されて、現在の「県立大学駅」になったのは、神奈川県立保健福祉大学が開学した翌年の2004年のことです。
県立大学駅の前身である京浜/京急安浦駅は、現在の駅の所在地でもある「横須賀市安浦町」から名づけられました。
安浦町は、神奈川県立保健福祉大学のある平成町と同じように、明治後期から大正時代に海を埋め立ててできたまちです。当初この事業は、地元の名家で、通称「赤門」と呼ばれる長屋門が今も駅の近くに残る永嶋家によってはじめられました。しかし、工事が難航を極めた結果、この埋め立て事業は永嶋家から安田保善社(当時は「保善社」という名称。現在の安田不動産で、旧安田財閥の中核企業)に譲渡され、1922年(大正11年)に完成しました。
「安浦町」という町名は、安田保善社の「安」と港を意味する「浦」に由来します。
その後、昭和初期に、湘南電鉄が横須賀に鉄道を通す計画が立ち上がった際、資金繰りに苦しんでいた会社を救い、鉄道建設に大きく関わったのも安田保善社でした。湘南電鉄は、品川(高輪)~横浜間を開通させていた京浜電鉄と横浜(黄金町)で接続するかたちで、金沢~横須賀~浦賀~三崎~葉山~逗子~金沢と、三浦半島を一周する構想などを持って設立された鉄道会社です。戦時中に京浜電鉄と合併し、さらに今の東急などと合併した後、戦後、京急電鉄として再出発しました。
このとき、安田保善社が湘南電鉄へ出資する条件の一つとして挙げたのが、自社が開発した安浦町の近くに駅を設けるというものでした。このようにして誕生したのが横須賀公郷駅(後の京浜/京急安浦駅、県立大学駅)であり、湘南電鉄(後の京急)なのです。普通電車しか停車しない小さな駅ですが、京急線(当時は湘南電鉄)開通のカギを握る、重要な意味を持つ駅であったと言えるでしょう。
なお、「横須賀公郷駅」という駅名は、駅開業当時のこのあたりの地名である、「横須賀市公郷町」に由来します(当時の安浦町は、埋め立て地域だけを示す地名でした)。現在の公郷町は、県立大学駅からはかなり離れている、衣笠行政センターがあるあたりだけを示す地名ですが、駅が開業した当時は今よりもずっと広い範囲を表わす地名でした。
その前身は旧公郷村(1889年(明治22年)に周辺の村と合併して豊嶋村となり、町制施行で豊嶋町となった後、1906年(明治39年)に横須賀町(現在の横須賀市の中心地域)に編入)で、江戸時代に、代々、この村の名主を務めていたのが、安浦町の埋め立てをはじめた、赤門の永嶋家です。
このように、県立大学駅の駅名変遷の歴史は、地元の発展に大きく貢献した者たちへのリスペクトを含むものでもありました。

