能永寺は、横須賀・浦郷町の榎戸地区にある、横須賀市内唯一の時宗の寺院です。室町時代前期の1394年(応永元年)、浦之郷字道場にあった寺を、其阿長立によって現在地に移して建立されたと伝えられています。
昭和前期までは深浦湾南岸の小さな入り江に面して建っていましたが、現在は埋め立てにより海岸線は境内から遠のいています。このあたりの港はかつて「榎戸湊」と呼ばれ、中世には鎌倉の外港として栄えた場所でした。
| 山号 | 楽浦山 |
| 宗派 | 時宗 |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 阿弥陀如来像 |
| 創建 | 1394年(応永元年) |
| 開山 | 其阿長立 |
| 開基 | ― |
能永寺の延命地蔵菩薩は、三浦三十八地蔵尊霊場の第26番札所になっています。この延命地蔵菩薩の内部には、胎内仏として小さなお地蔵様が安置されています。普段は秘仏ですが、12年に一度の卯年御開帳の際に拝観することができます。

榎戸の歴史の深さを感じる2つの横須賀市指定重要文化財
地蔵・十王像
能永寺に伝わる「地蔵・十王像」は、室町時代中期の絹本著色(絹の布地の上に、色絵具を使って描かれた絵画)です。寺伝では南宋・元代初期の仏画家・陸信忠の作とされていますが、中国から伝来した同様の仏画の写本が多数制作されている例がみられていることから、日本の画家によるものと考えられています。
しかし、修復を受けながらも、この時代の地蔵菩薩と十王像の全11幅がそろっている地蔵・十王像の仏画はとても貴重であり、また、能永寺のある榎戸が海外の文化が行き交う港として栄えていた事実の一端を示すものであるとも言えます。
榎戸貝塚出土骨角器
当時の能永寺副住職・小笠原義隆氏が発見し、1935年(昭和10年)に発掘調査が行なわれた、境内裏山の榎戸貝塚からは、縄文時代後期の貝殻、獣魚骨や土器、石器、骨角器などが出土しています。
なかでも、鹿角製の多様な器種の漁労具を中心とした骨角器は、縄文時代の三浦半島でさまざまな漁労具を使用した漁が行われていたことをはじめて明かした重要な考古資料です。
能永寺境内のその他の見どころ
能永寺の本堂は、江戸時代後期の1843年(天保14年)に建立されたものです。
棟札には、世話人として、室木や瀬ヶ崎(いずれも、現在の横須賀市との境に近い横浜市金沢区南部の地名)の人物の名前が見え、金沢方面との結びつきが強い地域だったことが分かります。

四脚門の山門も本堂と同時代の建築とみられていて、1899年(明治32年)に修理されています。


本堂の傍らでは、宗祖・一遍上人の尊像が、参拝する人々を見守っています。

能永寺周辺の見どころ






