池子遺跡群資料館は池子の森自然公園のスポーツエリアにある、池子遺跡群の発掘調査によって発見された出土遺物を展示・保管している資料館です。
池子の森に米軍家族住宅の計画が立てられた際、神奈川県埋蔵文化財センターと財団法人かながわ考古学財団によって、地中に眠る文化財の発掘調査が行われました。
この発掘調査では、池子の森周辺の、弥生時代から昭和前期に旧日本海軍が接収を開始する直前までの、数多くの生活の痕跡が見つかりました。
弥生時代から昭和前期までの出土品が時代ごとに展示されていますが、昭和の出土品が発掘されるというところに池子の森の影の部分を感じずにはいられないと同時に、弥生時代や中世の出土品と昭和の出土品が並列で展示されているのがめずらしくもあります。
INDEX
弥生時代から現われる生活の痕跡
池子周辺で人々の生活の痕跡が多く見られるようになるのは、弥生時代からです。縄文時代前期は地球の歴史上、もっとも気温が高かった時代の一つで、今よりも海面が高かったため、池子周辺の現在平地となっている場所も海の中だったと考えられています。
弥生時代の川の跡からは、木製の農具や土器などが多く発掘されています。この河川には、古墳時代には土砂の流入によって埋没したため、良好な状態で出土しています。
中世の遺跡からは鎌倉の特徴的な文化が見られる
池子の森自然公園では今でも中世の供養の場であるやぐらが多く見られますが、そこからは五輪塔などの供養塔やお墓と考えられる石塔が発見されています。
池子周辺は、鎌倉と、その外港・貿易港であった六浦方面や、とくに鎌倉時代前半に幕府と密接な関係にあった三浦氏の本拠地である横須賀・三浦方面とを結ぶ道にも近く、鎌倉の文化の強い影響下にありました。
江戸時代は水戸徳川家の影響下にあった
江戸時代の池子は、鎌倉・扇ガ谷にある尼寺・英勝寺の寺領になりました。英勝寺は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の側室で水戸徳川家の祖となる徳川頼房の養母のお勝の方(英勝院)が開いた寺院で、住持は代々、水戸徳川家の姫が迎えられていました。
そのため、池子も水戸徳川家の影響を強く受け、周囲の村々とは異なる扱いの村だったようです。江戸時代に編さんされた相模国の地誌「新編相模国風土記稿」で三浦郡池子村のみ未掲載となっているのは、このような事情からと考えられます。
昭和前期の暮らしぶりも出土
昭和前期、旧日本海軍が池子弾薬庫を建設するために、池子の住民は強制移住させられました。安い値段で買収され、強制退去の猶予期間が4~5日程度だったケースもあったようです。
あわただしく移転することを余儀なくされたため、当時の生活がそのまま残され、昭和の遺跡として出土されることになります。
横須賀の老舗百貨店「さいか屋」の刻印が見られる陶磁器などに現代と近い暮らしぶりが感じられる一方、東郷平八郎の人形があるなど、軍国主義の一端も垣間見れます。
関連施設
池子遺跡群資料館は、池子の森自然公園のスポーツエリアにあります。公園の池子側入口(京急神武寺駅方面)から入った場合、緑地エリアに抜けるトンネルの手前にあります。
池子遺跡群資料館では、現存する神奈川県で最大級の前方後円墳を有する長柄桜山古墳群から出土された埴輪も展示されています。