長沢海岸は、京急久里浜線YRP野比駅が最寄り駅となる野比海岸公園付近から京急久里浜線京急長沢駅が最寄りの北下浦漁港付近までの、横須賀市の東京湾側の海岸です。北側は野比海岸、南側は津久井浜海岸、三浦海岸とつながっています。
対岸に南房総・鋸山を望み風光明媚で1年を通して温暖な気候の長沢は、歌人の若山牧水や物理学者の長岡半太郎に愛されました。
2024年海水浴場 | × 長沢海岸(北下浦海岸)は海水浴場ではありません |
2024年海の家開設 | × |
公衆トイレ | ○ |
駐車場 | △ 北下浦海岸通り駐車場(旧北下浦海岸通り第2駐車場) 北下浦海岸通り臨時駐車場(旧北下浦海岸通り第1駐車場) <毎日開設> 12月29日~1月3日 7月1日~8月31日 <土日祝日のみ開設> 上記以外の期間 |
このあたりの海岸は岬などで明確に分かれているわけでもなく、漁港などを除いてほぼ連続した砂浜が続いているため、いろいろな呼び方をされています。町名にそって「長沢海岸」などと呼ばれたり、横須賀市の行政区域である「北下浦」という名称が使われたりします。
長沢周辺の海岸は、「長沢海岸」と呼ぶよりは、「北下浦海岸」と呼ぶほうが一般的です。
INDEX
長岡半太郎記念館・若山牧水資料館
長沢海岸を見下ろす場所に長岡半太郎記念館・若山牧水資料館は建っています。
長岡半太郎は明治期から昭和初期に活躍した物理学者で、土星型原子モデルを提唱するなど日本だけでなく世界の物理学史に大きな影響を与えました。長沢の隣りの津久井でひと夏を過ごした後、この地を気に入った長岡は、長沢に別荘を購入して長年に渡り使用しました。
長岡半太郎記念館・若山牧水資料館はこの長岡半太郎の別荘跡に建っています。
若山牧水は妻・喜志子の病気療養のため、1915年(大正4年)から2年間ほど、長沢で暮らしていました。自然を愛する牧水は、風光明媚なこの地で多くの歌を詠みました。
長岡半太郎記念館・若山牧水資料館では、彼らのゆかりの品が展示されています。
海岸に建つ若山牧水夫妻の歌碑
長岡半太郎記念館・若山牧水資料館の前の海岸には、歌人・若山牧水の歌碑が2つ建っています。
海を背にして左側の「海越えて」の歌碑は1987年(昭和62年)に建立されたもので、長沢から東京湾の対岸に見える南房総の鋸山を詠んだ歌が刻まれています。
右側の歌碑は1953年(昭和28年)に建立されたもので、海側の面に若山牧水の「しら鳥」の歌が、山側の面には歌人でもあった妻・喜志子の「鋸山の歌」が刻まれています。若山牧水夫妻二人の歌が両面に刻まれた、めずらしい夫婦歌碑です。
古くから風光明媚な地と知られたこのあたりも、近年は砂浜の侵食に悩まされています。台風や大雨の影響でたびたび海岸沿いを走る道路まで陥没するような災害に見舞われるため、断続的に改良工事をしています。(2021年現在)
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