本宮神社は、三浦の総鎮守・海南神社の「本宮」にあたる神社で、その旧地とされる三崎・花暮地区に鎮座しています。三崎港近くに広がる商店街の裏道のような場所に、小さな石祠が祀られています。観光地にありながら、普段は地元の住民以外はほとんど訪れることがありません。
ユネスコの無形文化遺産や国の重要無形民俗文化財に登録されている、小正月の伝統行事「チャッキラコ」(風流踊)は、海南神社での奉納に先だって本宮神社で奉納舞が披露されます。この日は、決して広いとは言えない神社前の広場が、多くの人で賑わいます。
主祭神 | 藤原資盈 |
旧社格等 | ― |
創建 | 866年(貞観8年) |
チャッキラコは、本宮神社と海南神社の御祭神である藤原資盈の妃・盈渡姫が庶民の娘に教えたのがはじまりと伝えられています(三崎に来遊した源頼朝の望みにより、少女たちが即興的に踊ったのがはじまりとする説もあります)。
チャッキラコは海南神社での奉納舞が有名ですが、当日の奉納の順序が物語るように、発祥は本宮神社であるとも言えます。
本宮神社は海南神社のルーツ
海南神社のルーツと言うことで、本宮神社の由緒は、海南神社のそれと同じです。
864年(貞観6年)、清和源氏の祖でもある清和天皇の時代、御祭神である藤原資盈は皇位継承争いに絡んで左遷となり任地の筑紫に向かう航海の途中、暴風に遭い、三崎に漂着しました。
藤原資盈は、房総の海賊を平定して、三崎の民に漁業をはじめとした教養や文化を教え、人々から崇敬されていたと言います。866年(貞観8年)に資盈が没すると、その亡がらを海に沈め、花暮海岸に祠を建立して祀ったのが本宮神社のはじまりと伝えられています。
それからおよそ120年後の982年(天元5年)には、現在、海南神社が鎮座する場所に社殿が創建され、藤原資盈を祀る神社としては海南神社がその歴史を継承していくことになりますが、今日まで本宮神社も三崎の人々によって大切に守られてきています。