スポンサーリンク

光念寺 | 和田義盛が開いた筌龍弁財天を祀る三崎の蓮の名所

光念寺・本堂と筌龍弁財天(撮影日:2022.01.31) 三浦
光念寺・本堂と筌龍弁財天(撮影日:2022.01.31)

光念寺は、平安時代後期から鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将・和田義盛わだ よしもりが開基となって建立した、三崎の高台にある寺院です。
和田義盛が三浦半島に建立した七阿弥陀堂の一つであるとされています。

境内に入ってすぐ右側にある弁天堂には、筌龍弁財天せんりゅうべんざいてんが祀られています。
和田義盛が、竹で編んだ漁具である「(せん)」が龍に化けて現われる夢を見て、この地に祀ったものであると伝えられています。

山号見龍山
宗派浄土宗
寺格
本尊阿弥陀如来
創建1194年(建久5年)
開山不詳
開基和田義盛
光念寺(撮影日:2022.01.31)
光念寺(撮影日:2022.01.31)
スポンサーリンク

信心深い和田義盛ならではのエピソード

光念寺・筌龍弁財天(撮影日:2023.09.01)
光念寺・筌龍弁財天(撮影日:2023.09.01)

この和田義盛が見たという夢には、前日譚があります。

1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆で挙兵した際、和田義盛三浦一族もこれに呼応しましたが、本拠地である衣笠城が落城し、房総半島に渡るために久里浜から舟で東京湾に逃れました。

なんとか海上に逃れましたが、衣笠城から命からがら敗走して来た三浦一族の面々は、戦による疲労と飢えで限界を迎えていました。
しかし、和田義盛が龍神に祈ったところ、「(せん)」が流れてきて、それで魚を獲ることによって飢えをしのぐことができたと言います。

その後、和田義盛三浦一族は無事に房総半島の安房国にたどり着くことができ、同じく舟で逃れてきた源頼朝北条時政義時らと合流することができました。
このとき、和田義盛源頼朝に、御家人を束ねる立場である侍所別当を所望し、後日、勢力を拡大して鎌倉入りを果たした際に、この望みを現実のものとしています。

光念寺・本堂(撮影日:2023.09.01)
光念寺・本堂(撮影日:2023.09.01)
スポンサーリンク

三浦半島南部で最大級の蓮の花の名所

光念寺・本堂前に咲く蓮の花(撮影日:2023.09.01)
光念寺・本堂前に咲く蓮の花(撮影日:2023.09.01)

夏になると、光念寺の境内は、ハス)の鉢植えでいっぱいになります。光念寺は、三浦半島南部では最大規模の蓮の花の名所です。
開花のタイミングは花によってかなりバラツキがありますので、夏の間はたのしめます。

スポンサーリンク

光念寺周辺の見どころ

本瑞寺(桜の御所跡)
本瑞寺ほんずいじは、鎌倉幕府初代将軍(鎌倉殿)・源頼朝が三崎に設けた三御所の一つ「桜の御所」跡に建つ寺院です。「桜の御所」の名は、この地に多数の桜の木を植えて、宴を催したことに由来します。...
海南神社
海南神社は、三崎港の近くに鎮座する三浦半島(相模国三浦郡)の総鎮守です。古くから漁業で栄えた三崎という土地柄、境内社で食の神様を祀っていたり、包丁を供養するお祭りが行わるのが特徴です。ま...
三崎城跡(三崎城址)
三崎城みさきじょうは、中世から近世のはじまりにかけて、三浦半島最南端の三崎にあった、海に面した山城です。城下の北条湾から切り立った崖の上にあって、天然の要害の地にありました。城主は、この地を治めてい...
うらりマルシェ&三崎魚市場
「うらり」は、まぐろの水揚げで有名な三崎漁港にある、獲れたて三浦野菜と三崎まぐろの産直センターを中心とした複合施設です。とくに、1階にある「まぐろ館」と2階にある「やさい館」を合わせて、「うらりマル...
歌舞島公園
歌舞島公園かぶじまこうえんは、三崎漁港の相模湾側にある小さな公園です。歌舞島の名前の由来は、この地で源頼朝に歌舞宴楽を披露したことからというものや、三浦一族の三浦義村みうら よしむらが鎌倉幕府第4代...

以下のリンク先からその他の【和田義盛ゆかりの地】もご覧ください

和田義盛ゆかりの地

DATA

住所 三浦市三崎1-18-1
アクセス
行き方

京急久里浜線「三崎口駅」より、京急バス「三崎東岡」「城ヶ島」「通り矢」「三崎港」「浜諸磯」行きで『三崎東岡』下車、徒歩約5分
または、京急バス「城ヶ島」「通り矢」「三崎港」「浜諸磯」行きで『三崎港』下車、徒歩約7分

駐車場 あり
料金

無料(志納)

電話番号 046-881-2604
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。

error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました