本日3月3日、NHKから、2027年の大河ドラマは小栗上野介忠順を主人公にした「逆賊の幕臣」になることが発表されました。
小栗上野介忠順は横須賀製鉄所(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)建設を主導した、横須賀とゆかりが深い人物です。横須賀市内には、ヴェルニー公園と横須賀市自然人文博物館の2か所に、小栗忠順の胸像が建っているほどです。

横須賀と結びつきが強い人物でNHK大河ドラマの主人公になるとしたら、小栗上野介忠順は、三浦按針(ウィリアム・アダムス)、三浦一族と並んで、待望されていた人物と言えるのではないでしょうか。
三浦按針と三浦一族は、近年の大河ドラマで主人公の側近として、主要人物の一人として描かれていました。そのことは歓迎べきことでしたが、主人公としての期待は少し遠のいた印象を持っていました。
大河ドラマの主人公ゆかりの地となることは、少なくとも1年間は注目を浴びることになります。経済効果はもちろんのこと、地域の内外の人たちが、その場所の歴史や文化にふれるきっかけになることが期待できます。
東京で生まれ育った小栗忠順でしたが、「上野介」という名前が示す通り、地元は上野国(現在の群馬県)というイメージが強いため、どこが、大河ドラマ館が置かれるような小栗忠順のメインのゆかりの地とされるのか、現時点では分かりません。
今回の発表を受けて、あらためて、当サイトで紹介している場所のなかで、横須賀にある小栗上野介忠順ゆかりの地を調べてみました。当サイト自体が未完ということもありますが、そこまで多くはありません。どうしても、横須賀製鉄所の存在が大きく、それ以外の場所でのエピソードはそれほど多くありません。
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実際にはもっと多くあるはずですが、記事にできていないだけです。あるいは、明治新政府の反逆者として斬首された小栗忠順は、明治維新後しばらくは、それこそ、大河ドラマのタイトルにもなっているように「逆賊」として扱われたため、記録や記憶から消されてしまったということもあるのかもしれません。
NHKのプレスリリースによれば「逆賊の幕臣」で小栗忠順のライバルとして描かれるらしい勝海舟や、小栗忠順らの遣米使節に随行した咸臨丸などに幅を広げれば、横須賀には数多くの逆賊の幕臣ゆかりの地が存在することになります。
このような小栗忠順や逆賊の幕臣ゆかりの地は、いずれ、特集記事として、まとめたいと思っています。
今回は、超速報版として、趣の異なる2か所を、ピックアップしてみたいと思います。
旧横須賀製鉄所(横須賀海軍施設ドック)
横須賀製鉄所は、当時、江戸幕府の勘定奉行だった小栗上野介忠順の進言により、幕末にフランス人技師レオンス・ヴェルニーを首長に招いて、建設が開始されました。明治維新によって新政府に接収された後の1871年(明治4年)に、1号ドックが完成しました。同じ年に、横須賀製鉄所から横須賀造船所に改称されて、1884年(明治17年)には旧日本海軍・横須賀鎮守府直轄の横須賀海軍工廠となりました。
横須賀製鉄所も、横須賀海軍工廠も、いわゆる「造船所」のことですが、当時はネジ1本から造る総合工場のような存在でした。
その後、横須賀製鉄所では、昭和前期までに6基のドライドックが造られ、その後、日本が世界屈指の造船大国となる一翼を担いました。
このように小栗忠順は、日本近代化の父の一人と言えるような存在ですが、横須賀製鉄所の完成を見ずに斬首されてしまったため、近代日本の歴史において過小評価されてしまっていると言えます。

海獺島(徳川埋蔵金伝説)
久里浜港の沖合に浮かぶ海獺島(海鹿島、アシカ島)には、小栗上野介忠順も関わったとされる、徳川埋蔵金の伝説が残されています。もし実在していたとしても機密事項であるということや、その歴史的背景から、信憑性の高い証拠はなく、都市伝説と言えるレベルのものですが。
海獺島周辺は暗礁地帯のため、東京湾・浦賀水道近海でも有数の海難事故発生ポイントとして知られています。
幕末に、この海域で、早丸という仙台藩所有の船が沈没しました。早丸は、江戸無血開城の数日後というタイミングに、横浜港から出航しました。この船に数百両にも及ぶ幕府御用金が積まれていて、これこそが徳川埋蔵金だというのが久里浜沖沈没説の概要です。
徳川埋蔵金については、江戸幕府の勘定奉行だった小栗忠順が、自国である上野国(現在の群馬県)の山中に埋めたとする説が有力でしたが、昭和~平成期に行われた調査や発掘で進展が見られなかったことから、近年ではこの久里浜沖沈没説も注目されるようになったようです。
幕府御用金を動かすことができた小栗忠順は、満足な取り調べもされることなく早々に斬首されてしまいました。そのため、小栗が大量の幕府御用金を持っていたのかどうかという事実や、徳川埋蔵金と言えるようなまとまった大金の存在自体が、歴史の闇に葬られてしまったと言えます。
