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吾妻社(長浦町)| 江戸時代の雰囲気が残る日本武尊と橘媛命を祀る旧長浦村の村社

吾妻社(長浦町)(撮影日:2025.03.11) 横須賀
吾妻社(長浦町)(撮影日:2025.03.11)

吾妻社あづましゃ(吾妻神社)は、かつて箱崎半島吾妻山山上に鎮座していた、日本武尊橘媛命を祀る神社です。「箱崎半島」は、横須賀港長浦港を隔てる、三浦半島から東京湾に突き出ていた半島で、山上にあった吾妻社の松の木は海上交通の目印になっていたと言います。
江戸時代には「吾妻権現」と呼ばれていました。明治時代には旧長浦村の村社となり、この地域の中心的な神社として崇敬をあつめていました。

現在の箱崎半島新井掘割水路によって分断されて「吾妻島」と呼ばれる島となり、その全域が米海軍の吾妻倉庫地区になっています。
箱崎半島/吾妻島は明治時代から旧日本軍の用地として買収されていき、吾妻社もその付け根にあたる丘陵地に遷されています。
見晴らしの良い場所だった吾妻社の跡地には、横須賀軍港を出入りする艦船の監視や指示伝達を行う旗山信号所が設けられました。

主祭神日本武尊
橘媛命
旧社格等村社
創建不詳
※江戸時代中期~後期以前
祭礼等4月 春季例祭【春祭り】
8月 例祭【夏祭り】【湯立神楽】
※実際の日にちは異なる場合があります

吾妻社は、1899年(明治32年)に箱崎半島吾妻山一帯が旧日本海軍の用地となり買収されたため、その翌年、現在地に遷宮されました。その後、1917年(大正6年)の暴風雨などにより拝殿の倒壊と再建をくり返していますが、現在も覆屋内に鎮座する本殿は移転前からのものです。この吾妻社本殿は江戸時代中期~後期の建築とみられていて、横須賀市内の神社建築でも貴重なものの一つです。

吾妻社(長浦町)・社殿前より鳥居を見下ろす(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・社殿前より鳥居を見下ろす(撮影日:2025.03.11)
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日本武尊と橘媛命の伝説により創建された吾妻社

吾妻社(長浦町)・社殿(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・社殿(撮影日:2025.03.11)

吾妻社の詳しい由緒は分かっていませんが、1928年(昭和3年)に発行された「田浦町誌」によれば、箱崎半島・荒井の漁夫が箱崎付近の波間に漂う御笄おこうがい(箸のように細長い髪飾りの一種)を拾い高貴な品として保管しているうちに、東国征討の途中、日本武尊走水から房総半島に渡る際、風浪にあっていたところ、妃の橘媛命が入水しその命と引きかえに日本武尊を救ったという噂を伝え聞き、その御笄荒井の背後の山に神として祀ったのがはじまりだと言います。日本武尊東国征討の後、亡き妻をしのんで「吾妻はや(ああ我が妻よ)」と嘆いたと言い、吾妻山/吾妻社という名前はその故事に由来します。

また、中世には、田の浦常光寺吾妻社の別当寺(神社を管理する寺院)だったと伝えられています。源実朝の家臣・鈴木三郎常廣の二男・常光が荒廃していた吾妻社を改修し、衣笠から自らの寺を移し、奉仕したと言います。

吾妻社(長浦町)・社殿にかかる「吾妻神社」の扁額(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・社殿にかかる「吾妻神社」の扁額(撮影日:2025.03.11)
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吾妻山時代の境内をそのまま遷したような境内

吾妻社(長浦町)・鳥居(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・鳥居(撮影日:2025.03.11)

現在の吾妻社は、常光寺田ノ浦神明社がある田の浦(東長浦)地域(京急線の安針塚駅方面)の谷戸と、長浦神明社がある長浦5丁目地域(JR横須賀線の田浦駅方面)の谷戸の間にある、丘陵地の山上に鎮座しています。

うっそうと茂る木々に囲まれた境内は、まるで、古くからずっとこの場所に鎮座していたような雰囲気があります。
社殿こそ昭和期のものとみられますが、境内には、1864年(元治元年)に奉納された鳥居、1854年(嘉永7年)に奉納されたひょうたん型の手水鉢、1883年(明治16年)に建てられた富士講の石碑、1852年(嘉永5年)に建てられた道祖伸の石碑などがあり、吾妻山に鎮座していた時代の境内をそのまま遷しているようなものなのですから、当たり前のことと言えるのかもしれません。
社殿に覆われているため、これらと同時には外から拝むことはできませんが、本殿も江戸時代中期~後期の建築とみられています。

吾妻社(長浦町)・手水鉢(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・手水鉢(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・富士講の石碑(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・富士講の石碑(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・道祖伸の石碑(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・道祖伸の石碑(撮影日:2025.03.11)
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吾妻社の参道として残った長浦の峠道

吾妻社(長浦町)・長浦神明社側の参道より鳥居方面を望む(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・長浦神明社側の参道より鳥居方面を望む(撮影日:2025.03.11)

吾妻社への参拝は、田の浦(東長浦)地域長浦5丁目地域の谷戸を結ぶ古道を使って行く必要があります。ちょっとした峠道のような古道で、かつては三浦半島のいろいろな場所でみられたのでしょうけれど、トンネルが発達した沿岸の市街地ではめずらしい山道です。
通常、トンネルが利用できるようになれば廃れるような峠道ですが、山上に吾妻社があるため残っている道だとも言えます。

現在、これらの谷戸の間は国道16号長浦隧道/新長浦隧道で結ばれていますが、明治時代までは、隣り合う2つの地域の行き来はこの古道が主要な道でした。海岸沿いが旧海軍の用地になってからはとくにそれが顕著になり、「田浦町誌」によると、1910年(明治43年)には吾妻社の下に長さ1町(約109m)ほどのトンネルが掘られたと言います。1918年(大正7年)には海軍水道水道路トンネルが開通し、峠越えの必要がなくなりました。自動車も通行可能な長浦隧道の開通は、それからおよそ10年後のことです。

なお、これらは、田の浦(東長浦)地域長浦5丁目地域の2つの谷戸の行き来の話で、国道16号(旧国道31号)開通前までの、横浜・金沢方面と横須賀・浦賀方面などの長距離の移動には、より内陸を通る十三峠経由の浦賀道か、船を使って移動するのが一般的でした。

吾妻社(長浦町)・社殿前の石段(撮影日:2025.03.11)
吾妻社(長浦町)・社殿前の石段(撮影日:2025.03.11)
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吾妻社周辺の見どころ

安針塚駅(常光寺・田の浦)方面

JR田浦駅(長浦神明社・長浦町5丁目)方面

DATA

住所 横須賀市長浦町5ー15ー1
アクセス
行き方

・京急線「安針塚駅」より、徒歩約15分
・JR横須賀線「田浦駅」より、徒歩約15分

駐車場 なし
料金

無料(志納)

電話番号 046-835-3713 ※久里浜八幡神社(管理元神社)
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