鐙摺の不整合は、葉山町との境に近い逗子市南端の桜山9丁目で見られる、大規模な地殻変動の痕跡です。三浦半島で一番古い地層である葉山層群の上に、それよりもずっと新しい三浦層群・逗子層(基底礫岩層、逗子シルト岩層)が重なり合っている地層の露頭を見ることができます。
葉山層群は約1,200万年前頃までに堆積した地層で、逗子層は約820万年前以降に堆積した地層とされています。このように、年代の離れた地層が重なり合っている状態を「不整合」と言います。
この「鐙摺の不整合を示す露頭」は、逗子地域や三浦半島の土地の成り立ちを知るうえで重要な場所であることから、神奈川県と逗子市それぞれの天然記念物に指定されています。
「鐙摺」とは現在の逗子市と葉山町の境に古くからあった地名で、その昔、源頼朝がこのあたりの山を越えようとした際に、あまりにも狭く急坂だったため、鐙(馬へ騎乗するときに足を乗せる馬具)を摺ってしまったことに由来すると言われています(諸説あり)。
鐙摺の不整合は、一千万年以上前~数百万年前という単位に起きた地殻変動を示すものです。そんなスケールの出来事に比べれば、たかだか800年程前の源頼朝の時代は、つい最近のことのように感じられます。
三浦半島の生い立ちの一片を見られる貴重な地層

鐙摺の不整合や逗子の地層・地質については、逗子市教育委員会による現地の案内板で解説されている他、「逗子市史 別編1(民俗編・自然編)」や「逗子市文化財調査報告書 第9集・逗子市域の地質」に詳しくまとめられていて、この記事もそれらを参考にしています。
鐙摺の不整合は、1923年(大正12年)の関東大震災後の1925年(大正14年)に、渡辺久吉博士によって発見されました。
この鐙摺の不整合の研究からは、葉山層群の堆積後、第三紀中新世(約2,300万年前~約500万年前)の前期に起こった造山運動によって、それまで海底だったこの地域が隆起して地上に出現し、その後再び起こった大規模な地殻変動で再度海底に沈み、そこに三浦層群・逗子層が堆積した状況が確認されました。
葉山層群の堆積後に隆起を発生させた造山運動は、「大八州造山運動」などと名付けられています。「大八州」とは、淡路・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州の8つの島を指す日本神話における古い日本の別称で、日本列島規模で起きた地殻変動であることを示しています。
今の丹沢から三浦半島、房総半島に続く地形の原型は、この造山運動により形成されたとみられていて、その生い立ちの一片が見られる鐙摺の不整合は地質学的に貴重な場所です。
鐙摺の不整合を見られる2つの場所
天然記念物に指定されている「鐙摺の不整合を示す露頭」は、神奈川県指定の場所と逗子市指定の場所と2地点あります。このうち、神奈川県指定の場所は公道上よりいつでも自由に見学可能です。
神奈川県指定天然記念物「鐙摺の不整合を示す露頭」
所在地:逗子市桜山 9-2405-21
神奈川県指定天然記念物「鐙摺の不整合を示す露頭」は、県道207号森戸海岸線の国道134号「渚橋」交差点側の起点より100m少々葉山寄りに進んだ場所を右折した先にあります。県道沿いには、このさらに先にあるマンションへの順路を示す「逗子桜山ニューライフ入口」という案内板が出ています。
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逗子市指定天然記念物「鐙摺の不整合の露頭」
所在地:逗子市桜山 9-2448-4
逗子市指定天然記念物「鐙摺の不整合の露頭」は、神奈川県指定天然記念物「鐙摺の不整合を示す露頭」のすぐ海側にあります。しかし、逗子市浄水管理センター内にあるため、通常は立ち入ることができません(この記事の写真は、同センター内にある国木田独歩文学碑の見学時に撮影)。
神奈川県指定天然記念物「鐙摺の不整合を示す露頭」がある丘陵地は、かつて、鳴鶴ヶ崎などと呼ばれていまいた。この岬周辺は、明治後期に宅地開発などのため埋め立てられた後、昭和期にさらに護岸工事と埋め立てが進められ、1972年(昭和47年)、その先端部分に逗子市浄水管理センターが完成しました。
このときの工事で周辺の岩礁は埋め立てられましたが、一部のみプール状に区切った底で当時の海岸が保存され、逗子市指定天然記念物「鐙摺の不整合の露頭」として残されています。


鐙摺の不整合を示す露頭周辺の見どころ
逗子・田越方面







葉山・鐙摺側





