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新井掘割水路 | YOKOSUKA軍港めぐりルート上の横須賀本港と長浦港を結ぶ海の切通し

新井掘割水路・横須賀本港側より望む[アップ](撮影日:2022.08.10) 横須賀
新井掘割水路・横須賀本港側より望む[アップ](撮影日:2022.08.10)

新井掘割水路あらいほりわりすいろは、1889年(明治22年)に開通した、横須賀本港長浦港を結ぶ全長900mほどの運河です。横須賀本港長浦港の間には、三浦半島から東京湾に大きく突き出た箱崎半島がありました。江戸幕府の勘定奉行だった小栗上野介忠順おぐりこうずけのすけただまさの進言により、横須賀湾横須賀製鉄所(後の横須賀造船所横須賀海軍工廠)が建設されたことを発端に、横須賀港は軍港として拡張していくことになりました。次第に隣接する長浦港にも海軍の施設が置かれるようになりましたが、双方の港の行き来には箱崎半島を迂回する必要がありましたので、これを短絡するため、新井掘割水路は開削されました。

新井掘割水路は、平地ではなく丘陵地を開削して造られました。そのため、一般的な水路や運河などと比べて深く切り立っているのが特徴的で、その姿は海の切通しのようです。

新井掘割水路開通以前にも、箱崎半島には「長浦堀割」と呼ばれた掘割が開削されていましたが、横須賀本港長浦港をより短絡できる場所に、より大規模な掘割が求められ、新たな掘割が造られることになりました。一時期、箱崎半島は2つの掘割により3分割されていましたが、新掘割の完成によって旧掘割は埋め立てられています。
新井掘割水路で分断された旧箱崎半島は「吾妻島」と呼ばれる島となり、現在はその全域が米海軍吾妻倉庫地区(一部施設は海上自衛隊が共同利用)になっています。

新井掘割水路・長浦港側より望む(撮影日:2022.08.10)
新井掘割水路・長浦港側より望む(撮影日:2022.08.10)
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公郷村名主・永嶋庄兵衛によって開削された旧掘割

吾妻島・北東の海上より望む(撮影日:2022.08.10)
吾妻島(旧箱崎半島)・北東の海上より望む(撮影日:2022.08.10)

新井掘割水路開通以前の旧掘割長浦掘割は、幕末の1854年(安政元年)、公郷村名主なぬし(現代の村長に相当。庄屋とほぼ同義)永嶋庄兵衛によって開削されました。永嶋庄兵衛は、幕末、三浦半島の海防を担った諸藩や浦賀奉行所との調整役など、公郷村村内に留まらず、三浦郡の郡中取締役という役割も与えられていました。

江戸時代中期に浦賀奉行所が置かれて以降、次第に、箱崎半島沖を通行する船は増えていきました。しかし、その先端付近には危険な暗礁があったため、座礁する船も多くみられました。
このころはまだ、現在の国道16号に相当する道も、当然そのルート上のトンネルもなく、陸路は浦賀道の峠道を越える必要があり、三浦半島の東京湾(当時は江戸内海)沿いの交通は海路が一般的でした。長浦掘割は、その、野島村(現在の横浜市金沢区)と横須賀村を結ぶ航路の利便性と安全性の向上を図ることを目的に、開削されました。

このときの永嶋庄兵衛による届け出は「嘉永七年武州野嶋村より相州横須賀村迄之間新船路堀割自普請出来形帳」(「より」は旧字体)として記録が残っています。「自普請」とは幕府や藩など公的な機関が主導する公共工事ではなく、利用する側自らが願い出て行う土木工事のことです。請書としては関係する沿岸の七ヶ村(野島村・町屋村・浦郷村・田浦村・長浦村・逸見村・横須賀村)の名前が見られるものの、費用は公郷村永嶋庄兵衛の私費によってまかなわれました。

長浦掘割の開削によって発生した土砂は、東京・品川沖のお台場建設に使用されました。永嶋庄兵衛は、三浦半島の交通の利便性向上を図るだけでなく、同時に、江戸防備という国家プロジェクトにも参画していたのです。私費を投じたことに見合う見返りを目論んでのことでしょうけれど、役人というよりは実業家に近い人物だったのかもしれません。

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新井掘割水路の名前の由来となった吾妻島南麓・荒井地区

新井掘割水路・横須賀本港側より望む(撮影日:2022.11.03)
新井掘割水路・横須賀本港側より望む(撮影日:2022.11.03)

長浦掘割は、現在の新井掘割水路より箱崎半島の先端に近い位置(吾妻山の北側)に開削されました。明治時代の地図を見ると、箱崎半島のもっともくびれている箇所を、できるだけ短い距離で結べる場所を選んで開削されたことが分かります。同時に、掘割の経路は、横須賀村野島村を結ぶのには適していますが、横須賀本港長浦港長浦湾奥)を結ぶのにはかなり遠まわりであったことも分かります。

新たに開削された新井掘割水路は、もちろん、海軍省による軍事目的の公共工事として行われました。
新井」という名称は、水路が開削された地域(吾妻山の南側)の古い地名「荒井」に由来します。
1899年(明治32年)に吾妻山一帯が旧日本海軍の用地として買収されたため、荒井地区の住民もそれまでに、内陸側の田の浦地区などに移転しています。

米海軍吾妻倉庫地区・吾妻島南端の旧荒井地区の桟橋(撮影日:2022.08.10)
米海軍吾妻倉庫地区・吾妻島南端の旧荒井地区の桟橋(撮影日:2022.08.10)
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新井掘割水路の見学方法

現在の新井掘割水路は、両岸とも米海軍吾妻倉庫地区になっているため、一般人は立ち入ることができません。
横須賀本港長浦港を周遊するクルーズ船「YOKOSUKA軍港めぐり」のコースの一部になっていますので、これを利用することで海上からは間近で見学することができます。

新井掘割水路を出て汐入桟橋方面に戻るYOKOSUKA軍港めぐり「シーフレンド7」(撮影日:2025.10.11)
新井掘割水路を出て汐入桟橋方面に戻るYOKOSUKA軍港めぐり「シーフレンド7」(撮影日:2025.10.11)
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新井掘割水路周辺の見どころ

旧箱崎半島(吾妻島)周辺

箱崎半島周辺に鎮座していた神社は、旧日本海軍の用地として買収されたため、周辺の住民とともに内陸部に遷されています。

横須賀本港方面

DATA

住所 横須賀市箱崎町、田浦港町、長浦町1丁目
アクセス
行き方

※周辺は米海軍吾妻倉庫地区のため立入禁止

クルーズ船「YOKOSUKA軍港めぐり」で海上より見学可能
「YOKOSUKA軍港めぐり」が発着する汐入桟橋まで
京急線「汐入駅」より徒歩約5分
または
JR横須賀線「横須賀駅」より徒歩約15分

駐車場 なし
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」「空中写真」に切り替えられます。「空中写真」は場所や縮尺によって表示できない年代もあります。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
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