光心寺は、横須賀市はまゆう会館の隣りにある寺院です。江戸時代前期に楠ヶ浦町(現在の米海軍横須賀基地内)で、鎌倉・光明寺の末寺として創建されました。
しかし、昭和初期に旧日本軍の海軍用地となったため、衣笠(現在の衣笠栄町)の現在地に移転してきました。かつては山号を「長峯山(長峰山)」と言いましたが、これは創建当時の所在地の小名です。
境内には、移転前の光心寺の隣接地にあった横須賀海軍工廠(かつての横須賀製鉄所、横須賀造船所。現在の米海軍横須賀基地内)で、明治後期から大正初期にかけて建造され、第二次世界大戦中に沈没した、軍艦比叡(戦艦比叡)の鎮魂碑と戦没者供養塔が建っています。
その隣りの忠魂祠堂は、日清戦争の戦没者を祀るために建てられたお堂です。
| 山号 | 楠箇山 |
| 宗派 | ― |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 江戸時代前期 |
| 開山 | ― |
| 開基 | 清誉休安 |
光心寺の建つ衣笠栄町は、三浦半島の内陸地にあり、横須賀軍港のあった横須賀の港からは離れた場所にあります。しかし、横須賀軍港周辺にあったという歴史もあり、旧日本軍の慰霊施設が複数建てられています。

横須賀の海を見下ろす山上にあった忠魂祠堂

光心寺・忠魂祠堂は、1899年(明治32年)に横須賀下町地区(現在、主に横須賀中央と呼ばれるエリア)や東京湾を見下ろす大勝利山(現在の横須賀市緑が丘、大滝町2丁目、若松町2丁目)で、浄土宗の僧侶らによって建立されました。しかし、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で大きな被害を受けたため、昭和前期に光心寺境内に移されて、再建されました。
このとき、忠魂祠堂境内にあった北京籠城軍艦愛宕戦死者碑は、馬門山墓地(現在の横須賀市根岸町)に移設されています。

大勝利山(小屋の台)
大勝利山は、横須賀市の中心市街地である下町地区(横須賀中央駅周辺の、若松町や大滝町などの総称)でもっとも標高が高い山です。とは言え、標高はおよそ60mほどしかなく、今となっては近隣にいくつか建つタワ...

馬門山墓地・横須賀海軍墓地
馬門山墓地まもんざんぼちは、京急久里浜線の北久里浜駅と新大津駅の間の「馬門山」と呼ばれる小高い山の上にある、横須賀市営の墓地です。第二次世界大戦までは、旧日本海軍の戦死者・殉職者のための墓地だったた...

その他の光心寺境内の見どころ
不動堂と地蔵堂

招魂碑

三界萬霊塔と庚申塔群

防空壕跡

光心寺周辺の見どころ

大明寺
大明寺だいみょうじは、鎌倉時代、日蓮聖人に帰依した土地の豪族・石渡左衛門尉則久が、米ヶ浜(現在の横須賀市深田台、米が浜通の周辺)の山上に建立した、三浦法華堂(御浦法華堂、現在の龍本寺)を前身に持...

太田資康の墓
太田資康おおた すけやすは、戦国時代前期に活躍した武将で、江戸城の基礎を築いた太田道灌おおた どうかん(「道灌」は出家後の法名で、本名は資長すけなが)の嫡男です。父・道灌の死没後は、太田資康も江戸城...

曹源寺(宗元寺跡)
曹源寺そうげんじは、奈良時代の高僧・行基草創と伝わる「宗元寺(宗源寺)」を前身に持つ、公郷町くごうちょうの寺院です。江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」などによると、宗元...

公郷神社
公郷神社くごうじんじゃは、平作川中流のほとりにある公郷公園に隣接した、公郷町の鎮守です。公郷神社と同じ公郷町2丁目内には横須賀市の衣笠行政センターがあるように、現在の公郷町は衣笠エリアに含まれて...
