浦賀駅は、横須賀市東部にある、京急本線の終着駅です。1930年(昭和5年)4月1日、京急の前身の一つである湘南電鉄が横浜の黄金町駅と浦賀駅の間を開通させたときに開業しました。
当時の浦賀は「造船のまち」で、浦賀ドック(浦賀船渠、後の住友重機械工業浦賀造船所)へ通う人が多く利用しました。戦時中は、浦賀ドックへの移出入のため、浦賀駅で貨物の取り扱いもされていました。
この、幕末から続いてきた浦賀の「造船のまち」としての歴史も、2003年(平成15年)の住友重機械工業浦賀造船所の閉鎖により幕を閉じることになりました。2021年に住友重機械工業がレンガ造の第1号ドックやその周辺施設を横須賀市に無償で寄付したことを受けて、2029年以降の供用開始を目標に、浦賀駅周辺を含めた再開発が予定されています。

現在の堀ノ内駅から分岐する久里浜線が開通するまでは、浦賀駅は三浦半島の交通の要衝中の要衝でした。陸路では、乗合自動車(バス)が久里浜や三崎など三浦半島南部や鉄道省(後の国鉄、現在のJR東日本)の横須賀駅方面などに向けて走り、海路では東京湾汽船などが房総半島の金谷港や館山港、三浦半島の下浦、金田、松輪などを経由して三崎港、あるいは東京・霊岸島に定期航路を就航させていました(現在、定期航路はすべて廃止。運航会社や就航先は時代により異なる)。
戦時下の1942年(昭和17年)に久里浜駅、戦後は1966年(昭和41年)に三浦海岸駅、1975年(昭和50年)に三崎口駅へと久里浜線が南へ延伸していくと、市街地も観光客の目的地も三浦半島南部へと拡大していきました。
京急線の運行形態も、久里浜線の延伸にあわせて、徐々に浦賀方面から久里浜方面中心のダイヤを組むようになり、京急が大々的に観光のPRをして開業させた三浦海岸駅まで達するころには、堀ノ内駅~浦賀駅間は支線のような位置付けとなっていました。
また、浦賀港からの定期航路として残っていた房総半島・金谷港とを結ぶフェリーも久里浜港に拠点が移り、1964年(昭和39年)で廃止となっています。

もともと京急線の久里浜方面への延伸は、現在のように堀ノ内駅から久里浜線として分岐するのではなく、浦賀駅から本線をそのまま延ばす計画でした。
しかし、戦局の拡大にあわせるように横須賀軍港も久里浜への拡張が急速に進められ、軍から路線建設の強い要請を受けたこともあり、途中に丘陵地がたちふさがる浦賀経由はあきらめ、費用も工期も短縮できる堀ノ内駅から分岐するルートが選択されました。
もし、日本が第二次世界大戦に参戦する道を歩まず、久里浜方面への延伸が計画通り浦賀経由で進められていたら、浦賀駅の利便性はきっと今より悪いものにはなっていなかったでしょう。
「造船のまち」として戦争で潤った浦賀ではありましたが、戦争によって将来のインフラを奪われたまちであるとも言えます。



