【三浦半島】横須賀・三浦・葉山・逗子・鎌倉の城址・城跡・館跡

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三浦

新井城跡(新井城址)・三浦道寸(義同)の墓・三浦荒次郎(義意)の墓

新井城あらいじょうは、戦国時代の武将・三浦道寸みうら どうすん(義同よしあつ)・荒次郎(義意よしおき)父子の居城で、現在の油壺の岬の先端部分一帯にありました。三浦道寸・荒次郎の時代の三浦一族は、主に...
2024.04.17
逗子

桐ヶ谷歴史庭園(沼浜城跡)

桐ヶ谷歴史庭園きりがやれきしていえんは、平安時代に活躍した武将で、河内源氏第6代棟梁の源義朝みなもとのよしともの館・沼浜城ぬはまじょう跡(沼浜亭跡)と推定される場所にある桐ヶ谷氏私設の庭園です。20...
2024.03.24
逗子

住吉城跡(住吉城址)

住吉城すみよしじょうは、逗子・小坪と鎌倉・材木座の境にあたる、飯島岬(飯島崎)から続く丘陵地にあったと考えられている中世~近世の山城です。逗子・小坪の字飯島の鎮守・住吉神社の境内と、その背後の山にあ...
三浦

三崎城跡(三崎城址)

三崎城みさきじょうは、中世から近世のはじまりにかけて、三浦半島最南端の三崎にあった、海に面した山城です。城下の北条湾から切り立った崖の上にあって、天然の要害の地にありました。城主は、この地を治めてい...
横須賀

芦名城跡(芦名城址)

芦名城あしなじょうは、平安時代後期に三浦半島を治めていた三浦一族の当主・三浦大介義明の弟にあたる蘆名為清(芦名為清)の居城です。三浦半島の相模湾側の、ちょうど真ん中あたりに位置しています。いつどこに...
横須賀

浦賀城跡(浦賀城址)

浦賀城は、戦国時代に活躍した武将・北条氏康ほうじょう うじやすが築城したとされる山城です。浦賀湾東岸の丘陵地に位置していて、東叶神社ひがしかのうじんじゃのかつての社名「叶明神社」にちなんだ明神山と呼...
横須賀

佐原城跡(佐原城址)

佐原城は、平安時代後期から鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将・佐原十郎義連さわら じゅうろう  よしつらの居城だった山城です。佐原義連は三浦大介義明の末子で、佐原の地を本拠地としたため、佐原氏(三...
横須賀

怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚

怒田城ぬたじょうは、現在の横須賀市吉井よしいにある、平安時代から鎌倉時代にかけての三浦一族の山城で、三浦水軍の拠点でした。すぐ近くには三浦半島最大の河川で、怒田城付近から2kmほど下った久里浜海岸で...
横須賀

衣笠城跡(衣笠城址)

衣笠城きぬがさじょうは、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島を領地としていた三浦氏の本拠地だった城です。ちょうど、三浦半島の中央に位置しています。現在の久里浜海岸に注ぐ、衣笠城の近くを流れる平作川に...
2022.04.08
三浦

和田城跡(和田城址)

平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した武将・和田義盛わだ よしもりは、現在の三浦市初声はっせ町和田周辺を所領としていました。和田義盛の父・杉本義宗は鎌倉の杉本城(杉本寺の裏山)を本拠地としていました...
葉山

鐙摺城跡・旗立山(軍見山)

「鐙摺(あぶずり)」は、現在の逗子市との境にある葉山町の古い地名です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、このあたりに、三浦一族が支城の一つ鐙摺城を構えていました。城主は、このあたりを治めていた三浦一...
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