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怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚 | 三浦水軍の拠点跡と縄文から古墳時代までの遺跡

怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚(撮影日:2022.04.22) 横須賀
怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚(撮影日:2022.04.22)
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怒田城ぬたじょうは、現在の横須賀市吉井よしいにある、平安時代から鎌倉時代にかけての三浦一族の山城で、三浦水軍の拠点でした。すぐ近くには三浦半島最大の河川で、怒田城付近から2kmほど下った久里浜海岸で東京湾に注ぐ、平作川が流れています。近世まで平作川河口付近は、古久里浜湾と呼ばれる、現在よりも入り江が内陸まで入り込んでいて、怒田城のふもとも、この入り江に面していたと考えられます。

海に近い台地に位置している怒田城跡では、縄文時代早期から古墳時代の後期までの土器や石器、骨角器、住居跡などが出土しています。この時代の遺跡としては神奈川県内でも有数のもので、「吉井貝塚よしいかいづか」として県の史跡に指定されています。

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和田義盛が籠城戦を提案した要塞堅固な 怒田城

怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・衣笠方面を望む(撮影日:2021.01.06)
怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・衣笠方面を望む(撮影日:2021.01.06)

怒田城を史実で確認できることは少なく、詳しいことは分かっていません。そんな中でほとんど唯一にして、有名なものが、1180年(治承4年)に、当時の三浦一族の当主・三浦大介義明が討ち死にした衣笠城合戦でのエピソードです。

源頼朝平家討伐の挙兵に呼応した三浦一族でしたが、頼朝らと合流することができずに、逆に、畠山重忠率いる平家方衣笠城を包囲されてしまいます。衣笠城は、三浦一族の本拠地で、怒田城から内陸に4kmほどの場所にありました。
平家方の大軍に対して明らかに劣勢となった三浦一族は、窮地に陥っていました。そこで、三浦一族和田義盛は、衣笠城を捨てて、三方を山で囲まれて一方を海に面している要塞堅固な怒田城での籠城を主張しました。
このことから、怒田城の城主は、和田義盛だったという説がありますが、詳しくは分かっていません。この他にも、三浦義明の子である杉本義宗三浦義澄とする説もあります。衣笠城合戦のころには杉本義宗はすでに没しているため、その子である和田義盛が受け継いでいたとも考えられます。

しかし、このときすでに老齢であった三浦義明は、自らの最期を悟り、この案を退けます。結局、三浦義明は、三浦義澄和田義盛らの一族衣笠城から脱出させて、自らは衣笠城で討ち取られてしまいます。世に知られていない怒田城ではなく、三浦一族の本拠地として知られた衣笠城で最期を迎えられたことは、三浦義明にとっては誇らしいことであったに違いありません。

残された三浦義澄和田義盛らは、久里浜から房総半島に向けて逃げることになりますが、このとき船を出した場所が怒田城だったと考えられます。現在でも怒田城の北側には「舟倉ふなくら」(京急の車両基地や工場がある場所周辺)という地名が残っていて、庫があったことが連想されます。

怒田城跡の眼下には京急線が走っているため、ここは絶好の京急ビューの場所でもあります。

怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・久里浜方面を望む(撮影日:2021.01.06)

以下のリンク先からその他の【和田義盛ゆかりの地】もご覧ください

和田義盛ゆかりの地
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久里浜が古代から住みやすいまちであったことを裏付ける 吉井貝塚

怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・第1貝塚付近(撮影日:2021.01.06)
怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・第1貝塚付近(撮影日:2021.01.06)

1960年(昭和35年)、この怒田城があった台地のふもとに京急の変電所が建設される際、吉井貝塚の発掘調査が行われました。この調査によって、台地の斜面から貝塚が、台地上からは集落跡が見つかっています。
この、現在第1貝塚と呼ばれる貝塚からは、2mにおよぶ貝層の堆積が、きわめて良好な状態で確認されました。1992年には、現在第2貝塚と呼ばれている貝塚の発掘調査も行われ、こちらも同様の成果を得ています。
とくに、漁業関連の出土品は、当時の漁法を知るうえでたいへん貴重なものとして、高い評価を得ています。

吉井貝塚古久里浜湾を挟んだ対岸の台地には、ほぼ同じ時代の遺跡と考えられている「茅山貝塚かやまかいづか」があります。茅山貝塚吉井貝塚と同様に、県の史跡に指定されています。
この古久里浜湾周辺では、他にも古墳などの古代の遺跡が多数見つかっていて、古くから人が住みやすい場所であったことが分かります。現在の久里浜エリアも、京急線やJR横須賀線、東京湾フェリーなどが集まる交通の要衝で、商業施設や公共施設が集まり、三浦半島でも屈指の住みやすいまちと言えます。まちの中心は台地の上から平野部に移りましたが、古代の吉井貝塚をはじめとした遺跡群、中世の三浦水軍怒田城、幕末のペリー上陸と、実に濃い歴史の積み重ねのうえに成り立っているエリアでもあります。

怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・第2貝塚付近(撮影日:2021.01.06)
怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・第2貝塚付近(撮影日:2021.01.06)
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怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚へのアクセス

現在の怒田城跡吉井貝塚は、台地の上に複数の案内板が建つ史跡として整備されています。吉井貝塚の案内が中心ですが、それらと混在するかたちで、空堀跡などの怒田城の案内もあります。

怒田城吉井貝塚も、著名な史跡や観光施設として認知されている場所ではないため、現地までの経路が分かりにくいのが難点です。
京急久里浜駅やJR久里浜駅方面から向かう場合、まずは国道134号(久里浜街道)を北久里浜方面に進み、舟倉交差点を右折して京急の踏切を渡ります。踏切を渡ってすぐ右側にある佐川急便横須賀営業所をまわり込んで、京急久里浜駅やJR久里浜駅方面に見える、京急線の線路沿いまで突き出た壁面一帯がコンクリートブロックで覆われた、小高い丘(本ページのカバー写真の中央部参照)を目指すのが分かりやすいです。この小高い丘の北側に、怒田城跡吉井貝塚への登り口があります。頂上の標高は20数メートルしかないため、登りはじめてから2、3分もしないうちにたどり着きます。

怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・散策路(撮影日:2021.01.06)
怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚・散策路(撮影日:2021.01.06)
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DATA

住所 横須賀市吉井1丁目
アクセス
行き方

京急久里浜線「京急久里浜駅」、JR横須賀線「久里浜駅」から徒歩約25分

駐車場 なし
営業時間

原則年中無休/24時間可能

料金

無料

電話番号 046-822-8484(横須賀市 教育委員会事務局教育総務部生涯学習課)
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。

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