浦賀城は、戦国時代に活躍した武将・北条氏康が築城したとされる山城です。浦賀湾東岸の丘陵地に位置していて、東叶神社のかつての社名「叶明神社」にちなんだ明神山と呼ばれているあたり一帯にありました。
房総半島の里見氏に対抗するために築かれた浦賀城
北条氏康は後北条氏の第3代当主で、第2代当主・北条氏綱の嫡男です。1516年(永正13年)に初代の北条早雲(伊勢宗瑞)が相模三浦氏を滅ぼした後は、三浦半島を含む相模国一帯が後北条氏の領地となっていました。
北条氏康が生きた戦国時代末期は、上杉氏や武田氏、今川氏などの戦国大名が関東周辺で領地拡大の機会をうかがい、さらに、西には、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が控えているという、常に緊張状態の中にありました。
身近なところでは、東京湾を挟んだ向かい側の房総半島を治めていた里見氏が脅威となっていて、たびたび三浦半島も攻撃を受けていました。
浦賀城は、北条氏康が、この里見氏に対抗するための水軍の出城として築いたと考えられています。
後北条氏は、もともと相模三浦氏の水軍の拠点だった三崎城も、里見氏との戦いに備えるために改修しています。
東叶神社の拝殿横から明神山に登ると房総半島や東京湾を一望することができ、浦賀城が房総半島の里見氏を監視するのにはうってつけの場所であったことがよく分かります。
現在は、房総半島の金谷港と三浦半島の久里浜港を結ぶ東京湾フェリーが浦賀水道を横断する姿や、眼下には江戸幕府によって建設された和式灯台の燈明堂跡を見ることができます。
県の天然記念物に指定されている叶神社の社叢林
現在の明神山一帯は、常緑広葉樹が生い茂っていて、「叶神社の社叢林」として神奈川県の天然記念物に指定されています。また、「叶神社の森」として、「かながわの美林50選」にも選ばれています。
山頂部はスダジイやマテバシイ林となっていて、斜面部はタブノキ林となっています。ウバメガシの自生は、この明神山が北限とされています。