安針塚駅は、横須賀市北部にある、京急本線の駅です。京急全線でもっとも乗降客数の少ない駅です(2025年度実績)。とは言え、駅より一段高い丘の上の「安針台」の大規模な宅地開発もあり、近年の利用者数は目立って減少傾向にあるというわけではありません。駅から安針台直結のエレベーターもでき、駅周辺の風景もずいぶん近代化しましたが、小さな谷戸の合間にある、三浦半島北部の京急の駅らしい駅の一つです。
駅前に乗り入れているバスはなく、最寄りのバス停は、駅から徒歩5分ほどの場所にある、国道16号沿いの「田ノ浦」です。
似たような名前で場所もすぐ近くのため「田浦」を連想されやすいですが、「田ノ浦」は安針塚駅の海側の古い地名(現在は横須賀市長浦町)です。
この田ノ浦には、第二次世界大戦まで横須賀海軍軍需部の司令部が置かれていました。横須賀海軍軍需部とは、海軍で使用する砲弾や魚雷などの兵器類から燃料、食糧、被服といった軍需物資を管理・保管し、軍艦や前線に送り出す機関のことです。今も、安針塚駅近くの海岸から横須賀線の田浦駅にかけての海沿いに大型の倉庫が多く林立しているのは、その名残りです。
このような立地に出来た駅のため、1934年(昭和9年)10月1日の開業当初の駅名も「軍需部前駅」という駅名でした。しかし、軍の施設の場所が明るみに出るのを避けるため、1940年(昭和15年)に現在の「安針塚駅」に変更されています。
「安針塚駅」という駅名の由来は、この駅が最寄りの県立塚山公園内にある国の史跡「三浦安針墓」(三浦按針夫妻の供養塔)によります。三浦按針は、本名をウィリアム・アダムスと言い、当時の三浦郡逸見村に領地を与えられ、徳川家康の外交顧問として活躍したイギリス人(イングランド人)です。
現在では、人物名を表わす場合、三浦「按針」とするのが一般的です。しかし、とくに戦前の史料などでは、三浦「安針」とする例も多くみられ、統一されていませんでした。
たとえば、江戸時代後期の地誌「新編相模国風土記稿」や1899年(明治32年)発行の「神奈川県誌」などでは三浦「安針」、明治時代後期に日本初の全国的地誌として発行された「大日本地名辞書」などでは三浦「按針」としています。
墓の名前としての「安針塚」「按針塚」も同様に、史料ごとに表記ゆれがみられます。
1921年(大正10年)に、横須賀駅前や県立塚山公園の登り口などに建てられた石造の三浦按針の墓への道標には「安針塚」と刻まれています。
1923年(大正12年)に国の史跡に登録された際には、「三浦安針墓」という名称で登録されました。
これを受けてか、1925年(大正14年)に横須賀市が発行した「横須賀案内記」では、人物名としては三浦「按針」、墓の名称としては「安針塚」としています。
1940年(昭和15年)に「安針塚駅」へ駅名を変更した際も、この国の史跡の登録名にちなんだものと考えられます。
なお、大規模な住宅地として開発された「安針台」は、1991年に横須賀市の長浦町と吉倉町それぞれの一部から誕生した、比較的新しい地名です。このあたりには他に、「安針」または「按針」と付く地名はありません。

