久里浜公園は、明浜小学校や市立横須賀総合高校などに隣接した久里浜文教地区の一角にある街区公園です。かつては公園内に久里浜公園水泳プールがありましたが、老朽化や利用者の減少等の理由により、2023年度で廃止となりました。その跡地には、2026年、久里浜地区のハイランド保育園と衣笠地区の森崎保育園を統合するかたちで、市立南こども園が開園しました。
久里浜公園を含め、市立横須賀総合高校(旧市立横須賀工業高校・旧市立横須賀商業高校)、久里浜小学校、明浜小学校、久里浜行政センター、南図書館、南体育会館などがあるこのあたり一帯には、終戦まで、海軍工作学校がありました。久里浜公園の一角には、この歴史をしのぶ「海軍工作学校跡」の記念碑が建てられています。

旧海軍を工作術で支えた海軍工作学校の卒業生とその記念碑
旧海軍工作学校は、1941年(昭和16年)(史料によっては1940年(昭和15年)とするものもあり)、横須賀・稲岡町にあった海軍工機学校の工作科が独立するかたちで開校しました。
1984年(昭和59年)に編さんされた「海軍工作学校史」によれば、海軍工作学校は金工、木工、潜水などの専門技術を習得するための教育機関で、終戦までの4年間で、約5万人の生徒がこの地で学んだと言います。卒業生の多くは艦船や陸上部隊の工作兵として前線に送り込まれ、そのうち5千人以上の若い命が失われました。
工作機械の設備が充実していた海軍工作学校では、飛行機から着想を得た有翼潜水艇「海龍(海竜)」の開発・試作も行われました。開発当初のコンセプトは分かりませんが、第二次世界大戦末期、「海龍」は事実上の特攻兵器として実戦投入されることになりました。
戦後、海軍工作学校で学んだ卒業生たちは、その技術をいかして、工場経営者やエンジニアとして活躍しました。海軍工作学校の校舎などは、一時、久里浜小学校や市立工業高校、市立商業高校で使われましたが、いずれも現在は残っていません。
卒業生が若き日をしのんで久里浜の地を訪れるということも少なくなかったと言います。しかし、なにも面影が残っていないことを嘆き、最後の校長を務めた美原泰三元少将らを発起人として、久里浜公園の一角に「海軍工作学校跡」の記念碑が建立され、1977年(昭和52年)5月22日に除幕式が開かれました。
除幕式では、「海軍工作学校跡」碑の下に、卒業生のうち5千人以上におよぶ戦没者氏名を納めたカプセルが埋められ、冥福を祈ったと言います。
久里浜公園の「海軍工作学校跡」碑の前では、毎年、記念碑が除幕された5月22日に、地元の久里浜観光協会主催により「旧海軍工作学校戦没者慰霊祭」が執り行われ、戦没者の冥福を祈るとともに、平和を祈念しています。
また、「海軍工作学校跡」碑の建立前、久里浜公園の一角では海軍工作神社が祀られていたと言いますが、現在は、久里浜八幡神社に境内社として鎮座しています。
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周辺の学校やこども園と一体化したような公園

廃止された久里浜公園プールは、プール施設のない明浜小学校の授業でも利用されてきました。久里浜公園自体、明浜小学校や市立横須賀総合高校のグラウンドに囲まれていて、もともと学校の一部のような立地にありました。地域外の人には、この場所に公園があることもあまり知られていないことでしょう。
2026年には、公園内のプール跡地に市立南こども園が開園したため、より一層、公園というよりは小学校かこども園の敷地の一部のような雰囲気が強くなりました。
また、「久里浜公園」という名前だけを聞くと、地域を代表する大きな公園がイメージする方もいそうですが、近隣の小学校生徒の放課後の遊び場や、市営住宅が隣接しているためその街区公園として機能する、地域密着系の小さな公園です。そのため、駐車場も用意されていません。



久里浜公園周辺は隠れた紅葉・黄葉スポット
久里浜公園の外周や公園周辺の街路樹は、晩秋に色づく木が多く、隠れた紅葉・黄葉スポットです。


久里浜公園周辺の見どころ








