鹿島神社は京急線逸見駅の近くにある、旧逸見村の鎮守です。室町時代中期の1410年(応永17年)、三浦遠江守が常陸より鹿島神社を勧請して創建したと伝えられています。
かつては、鹿島崎と呼ばれる、現在の海上自衛隊横須賀地方総監部がある辺りに鎮座していましたが、1895年(明治28年)に現在地に社殿を造営して遷座しました。
鹿島神社の社殿の彫刻は、浦賀・西叶神社の社殿の彫刻を手掛けた後藤義光の門人である、後藤喜三郎によるものです。
主祭神 | 武甕槌神 |
旧社格等 | 指定村社 |
創建 | 1410年(応永17年) |
祭礼 | 1月1日 新年祭 2月節分 節分祭 4月5日 春祭 6月第1土曜 例大祭 12月5日 秋祭 |

三浦按針(ウィリアム・アダムス)屋敷跡

江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」によると、江戸幕府成立前後に徳川家康の外交顧問として活躍した三浦按針(ウィリアム・アダムス)は浄土寺の南に屋敷を構えていたと言い、それは現在ちょうど鹿島神社が鎮座する辺りにあたります。
三浦按針は、徳川家康によって江戸幕府の直轄領となった三浦半島の逸見村に領地を与えられ、この地を拠点にしていました。(三浦按針の屋敷は、逸見の他に、江戸時代初期には国際貿易港だった浦賀や、東京・日本橋室町(旧按針町)にもあったと伝えられています)
浄土寺は三浦按針の菩提寺だったことで知られる寺院です。江戸時代前期の1636年(寛永13年)には、三浦按針の子が当時はまだ鹿島崎にあった鹿島神社の社殿を再建したという記録も伝わっています。
このような背景から、鹿島神社は、三浦按針ゆかりの神社であるとも言えます。
横須賀駅から三浦按針夫妻供養塔までのルート上に鎮座

鹿島神社は、JR横須賀駅から三浦按針夫妻の供養塔(安針塚/按針塚)の建つ県立塚山公園までの通り道にもあたります。大正時代には、当時の国鉄横須賀駅(現在のJR横須賀駅)から三浦按針夫妻の供養塔までのルート上に、日本語表記の他に英語でも併記された道標が設置されました。
三浦按針夫妻の供養塔がある県立塚山公園の最寄り駅は京急線の安針塚駅か逸見駅ですが、どちらの駅も昭和に入ってから開業した駅のため、大正時代は国鉄横須賀駅が最寄り駅でした。
これらの「安針塚への道標」と呼ばれる石塔は、現在も、JR横須賀駅前、国道16号「汀橋交差点」付近、そして、安針塚登り口で見ることができます。このうち、鹿島神社は、国道16号「汀橋交差点」近くの道標と安針塚登り口の道標の中間に位置しています。
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鹿島神社周辺の見どころ



