葉山・堀内の須賀神社は、京都の祇園社から勧請されたと伝わる、鐙摺地区の鎮守です。現在は神社境内の前方には、葉山マリーナや葉山新港が整備されていますが、かつては、もっと海の近くに鎮座する神社でした。
とくに境界らしい境界もない、連続した境内には、浄土宗の寺院・海宝寺が建っています。
正式名称は「須賀社」ですが、通常は「須賀神社」や地区名を冠した「鐙摺須賀神社」と呼ばれています。
江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」には「天王社」と載っていて、明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈)を受け、神仏習合の牛頭天王から日本神話に登場する須佐男之命を祀る須賀神社に変わりました。このため、「天王様」という通称も残っています。
| 主祭神 | 須佐男之命 |
| 旧社格等 | ― |
| 創建 | 不詳 (江戸時代後期以前) |
| 祭礼 | 7月第1日曜日 例祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
須賀神社例祭の神輿渡御は、一時途絶えていましたが、1997年に約30年ぶりに復活しました。伝統ある「鎌倉大町まつり」のお渡りと同じように、白装束や烏帽子を着装した氏子が御神興をかつぎ、町内をしずしずと練り歩きます。御神輿の前を先導する「ひょっとこ踊り」は、かつてお祭りが一週間ほど行われていたころ、御神輿を守るために御仮屋に泊まり込む子どもたちを喜ばせるために披露されていたものだと言います。

逗子・沼間から流れ着いたという須賀神社の御神体

鐙摺須賀神社には、古老の話として、次のような由緒が伝えられています。
古くは逗子郷沼間の地に祀られていましたが、御祭神が暴神であったため、一人の老人が御神体を田越川に流してしまいました。その後、御神体は川を下り、海に出て、葉山郷鐙摺の向島に流れついたところを、ちょうど居合わせた翁がすくい上げました。
このときすくい上げるのに使った肥びしゃく(糞尿を汲み取るのに用いる大型のひしゃく)ごと祀ったのが現在の須賀神社であり、あろうことか、御神体は「肥柄杓」になったと言います。

縁起が良い社殿に彫られた波乗りウサギ

鐙摺須賀神社の社殿の軒下には、波に乗ったウサギの彫刻が掘られています。海辺の神社らしいデザインとも言えますが、「波にうさぎ」「波兎」と呼ばれるこの伝統的な意匠は、水面に映し出された満月が風でたゆたう様子を、ウサギが波乗りをしている姿にたとえたものと言われています。
うさぎは縁結びの使者であるとともに、多産であることから繁栄の象徴とされています。また、ウサギが跳びはねる姿から、飛躍をイメージする縁起物ともされています。

鐙摺須賀神社周辺の見どころ
鐙摺周辺



逗子海岸方面



森戸海岸方面





