葉山マリーナは、ヨットハーバーと、レストランやマリンカジュアルなどのショップが入るマリーナプラザからなる、複合マリーナ施設です。ビジター向けには、湘南の海の観光スポットをめぐる「江ノ島・裕次郎灯台周遊クルージング」も人気があります。
葉山マリーナは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで、セーリング競技(ヨット競技)が相模湾で開かれるのにあわせて開業しました。すぐ隣りには、すでに、神奈川県が管理する葉山港にヨットハーバーがありましたが、葉山マリーナは民間のものとしては日本初の複合マリーナ施設でした。
開業当初は、東京オリンピックのセーリング競技関係者向けの宿泊施設となったホテルや、屋外プール、ボウリング場などを備える、複合レジャー施設でもありました。
その後、時代のトレンドや閑静な葉山というロケーションにあわせてホテルも屋外プールもボウリング場も廃止されて、ヨットハーバーとしての機能に重点が置かれるようになっていきました。
現在では、隣接する葉山新港とともに、「日本のヨット発祥の地」をかかげる葉山の、代名詞的存在の一つになっています。
かつて、葉山マリーナのある場所には、現在ではグローバル企業となった味の素の前身である鈴木製薬所の工場がありました。関東大震災後の葉山港の再建や、葉山マリーナ開業を支えたのも、味の素創業家である鈴木家でした。
うま味調味料「味の素」のヒットがなければ、葉山マリーナは生まれていなかったかもしれませんし、葉山港も、葉山のマリンレジャーのメッカと言うイメージも、今とはまったく別のものになっていたかもしれません。

INDEX
京急のおトクなきっぷの優待を受けられるショップやクルージング

葉山マリーナは京急グループと言うこともあり、葉山エリアが含まれる京急のおトクなきっぷ(例「葉山女子旅きっぷ」)で、「マリーナプラザ」のいくつかのショップやクルージングの優待を受けることができます。
葉山には鉄道の駅がないため、どうしても公共交通機関での訪問を躊躇されがちですが、最寄りとなる逗子の駅からも意外と近いものです。2020年3月に、京急逗子線の「新逗子駅」が「逗子・葉山駅」に改名されたのも、そのようなアピールの一環なのでしょう。
もちろん、車でアクセスする場合も、そこそこの広さの駐車場が確保されています。隣接する葉山港の駐車場も合わせると、100台以上停められる駐車場が2か所あります。

葉山マリーナの周辺
葉山港&小浜海岸 諏訪町下海岸・三ヶ浦海岸 森戸海岸 鐙摺城址・旗立山(軍見山)

マリーナならではの夕暮れの景色

相模湾に面した葉山マリーナでは、夕暮れの時間帯の景色がとくに美しく、ヨットハーバーに並ぶ無数のマストの向こう側に沈む夕日は、マリーナならでは美しい光景です。
マリーナプラザのカフェや、ヨットハーバー沿いのテラスは、その特等席です。
葉山マリーナの、海に向かって右前方にのびる葉山港の防波堤は無料で一般に公開されています(A防波堤のみ、夜間は立入禁止)。夕方はもちろんのこと、昼間も潮風がとても心地よく、葉山の中でも穴場の眺望スポットです。こちらは葉山マリーナの施設ではなく、葉山港になります。詳細は以下の記事からご覧ください。純粋に海の景色や雰囲気をたのしみたいのであれば、葉山港の防波堤がオススメです。

葉山マリーナを創業した3代・鈴木三郎助とその一族の歴史

葉山というと、葉山御用邸や高級別荘地があったため潤ってきたというイメージが付いてまわりますが、地元出身の実業家による貢献も大きいものでした。
葉山マリーナの創業者・鈴木三郎助は、味の素を創業した葉山の商家・鈴木家の3代目です。鈴木家では代々長男が「鈴木三郎助」を襲名していて、3代・鈴木三郎助は本名を「三郎」と言います。
「味の素グループの100年史」によれば、「三郎助」という名前は、初代・鈴木三郎助が、幕末に浦賀奉行所・与力として活躍した中島三郎助を尊敬していたことに由来すると言います。中島三郎助は、浦賀に来航したペリーと直接交渉した人物として知られています。
初代・鈴木三郎助は、旧豊島村(現在の横須賀市公郷町周辺)の豪商・石渡家に奉公に出た後、幕末の1866年(慶応2年)に独立し、故郷の旧堀内村(葉山マリーナの所在地である、現在の葉山町堀内)で穀物と酒類の小売店「滝屋」を開業しました。「滝屋」という屋号は、石渡家の屋号「滝ノ崎」から一字もらい受けてのものでした。
この葉山・堀内の「滝屋」こそが、後に、味の素や葉山マリーナの源流となる商店です。
味の素を創業したのは2代・鈴木三郎助です。
初代・鈴木三郎助は商売熱心でしたが、若くして亡くなっており、それからしばらくの間、「滝屋」は、初代・鈴木三郎助の妻・ナカによって切り盛りされていきました。ドイツ人医師・ベルツ博士らが葉山は保養地に適していると提唱したこともあり、本業の傍ら鈴木家では貸部屋をはじめるようになっていました。
そこへたまたま訪れていた大日本製薬(現在の大日本住友製薬)の技師・村田春齢からナカに助言されたのが、医薬品や殺菌剤の原料になるヨード製造でした。ヨードは、葉山の海でも大量に獲れる海藻「かじめ」から製造することができました。
1893年(明治26年)、2代・鈴木三郎助は「滝屋」を廃止し、ヨード事業に専念するために工場を新設し「鈴木製薬所」(後に「鈴木商店」に改名)を立ち上げます。この工場があったのが、現在、葉山マリーナがある場所です。
その後、1908年(明治41年)には、事業の拡大とともに増設した逗子工場で味の素の製造を開始します。しかし、味の素の製造量が増えるにしたがい工場が手狭になっていったことと、製造の過程で発生する塩酸ガスや田越川に流出する廃液などの公害問題が重なり、1913年(大正2年)、味の素の製造工場は川崎に移転します。
1946年(昭和21年)には主力商品となった「味の素」が会社名となり、日本を代表する企業の一つに発展していきました。
川崎を足がかりに、東京を拠点とするようになっていった鈴木家でしたが、創業の地・葉山とのつながりは消えていませんでした。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災では、葉山港(鐙摺港)も甚大な被害を受けました。この再建に多額の資金援助をしたのが、2代・鈴木三郎助率いる当時の鈴木商店でした。この復興を記念した石碑が、葉山鐙摺港に「船溜竣工記念碑」として残っています。
なお、このときの改修で、葉山港の一部にヨットハーバーが設けられています。
1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催される際、国からの要請により、鈴木家が所有していた旧葉山工場の土地を提供し、葉山マリーナを開業させたのが、3代・鈴木三郎助でした。
葉山マリーナのマリーナプラザ前には、3代・鈴木三郎助の銅像(鈴木三郎助翁像)が建っています。
川崎では京急大師線の駅名にもなっている「鈴木町」という町名が付けられるほど地域発展の功労者として根づいていますが、今日、葉山がマリンレジャーの一大拠点となったのも鈴木三郎助家の功績によるところが大きいと言っても過言ではありません。
また、2代、3代・鈴木三郎助は、大正から昭和後期の長きに渡り、葉山小学校をはじめとした葉山町の教育施設に多額の寄付をするなど、観光面だけでなく教育への貢献も大きかったと言います。
このような功績から、2代、3代・鈴木三郎助は、葉山町の名誉町民に選ばれています。
(葉山町の名誉町民に選ばれているのは、初代町長の伊東春義と詩人の堀口大學、そして、2代、3代・鈴木三郎助の4名のみ)

葉山マリーナ周辺の見どころ
鐙摺周辺




逗子・渚橋方面



森戸方面





葉山マリーナ周辺のマリーナ
日曜朝市「ハヤマ・マーケット」が開かれるのは葉山鐙摺港です。


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