平作旧陸軍墓地は、明治時代中期に開設された、旧日本陸軍の戦死者・病死者のための埋葬地です。第一次世界大戦の戦没者23柱と横須賀重砲兵連隊の戦病死者約400柱が眠っているとされています。
横須賀市内には、旧日本海軍のための埋葬地として馬門山海軍墓地もありました。馬門山海軍墓地は、戦後、一般市民にのための墓地としても開放されて、市営馬門山墓地となりました。平作旧陸軍墓地にも同様の計画があったようですが、実現されることはありませんでした。
このため、戦後、平作旧陸軍墓地は荒れるに任せた状態となっていましたが、1964年(昭和39年)、地元住民の協力のもと、散在していた遺骨を収集し、改葬するなどして、整備されました。
旧日本陸軍の施設に近すぎず遠すぎない場所にあった平作
なぜ、平作の地に陸軍墓地が開設されることになったのかは分かりませんが、横須賀の旧日本陸軍の施設が現在の坂本町~不入斗町周辺に多かったことが関係していると考えられます。平作は、横須賀軍港などがあった横須賀の中心地からは離れていましたが、不入斗からのアクセスは悪くない場所にありました。この不入斗から、近すぎず、遠すぎない距離にあり、それほど宅地化も進んでいなかったことが、平作に陸軍墓地が造られた一因でしょう。
不入斗町には、現在の不入斗公園に横須賀重砲兵連隊の練兵場があり、はまゆう公園には横須賀衛戍病院(後の横須賀陸軍病院。戦後は国立横須賀病院となり、場所を移転し、現在は横須賀市立うわまち病院(2025年度に市立総合医療センターとして横須賀市神明町に移転予定))がありました。
平作旧陸軍墓地に埋葬された病死者の多くは、横須賀衛戍病院(横須賀陸軍病院)で亡くなった軍人だったと言います。