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泉鏡花と鎌倉・逗子そして三浦半島西海岸の魔所【逗子編】まんだら堂やぐら群で見る春の白昼夢

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泉鏡花の二度の逗子暮らし

泉鏡花は、自身の胃腸病の静養のため、1902年(明治35年)夏と1905年(明治38年)夏から1909年(明治42年)新春にかけて2度ほど、逗子に滞在しています。

一度目の滞在の際には、現在の逗子市桜山5丁目付近に住んだと言います。桜山5丁目は、JR横須賀線の東逗子駅が最寄り駅で、観蔵院中里神明社のある辺りです。現在は、山の方に登っていくと、桜山中央公園県立逗子葉山高校があります。

この桜山泉鏡花の滞在先には、後に鏡花の妻となる東京・神楽坂の芸者・伊藤すずが訪れるなど、師匠である尾崎紅葉から離れた暮らしは、アラサーとなっていた鏡花にとってプライベートの充実のために欠かせない充電期間となったようです。
泉鏡花は、逗子・桜山の滞在中に、この地を舞台にした小説「起誓文」と、後にその続編である「舞の袖」を書きあげています。また、エッセイ「逗子だより」では、当時の桜山の情景を読むことができます。

二度目の滞在は、およそ3年半に及ぶもので、「滞在」というよりは「転居」という表現のほうが適当かもしれません。このときは、現在の逗子5丁目付近に住んだと言います。ちょうど、京急逗子線の逗子・葉山駅がある辺りです。すぐ南側には田越川が流れています。
泉鏡花の代表作の一つに数えられる小説「婦系図」は、このときに書かれました。「婦系図」のヒロインとして描かれた芸者のお蔦鏡花と交際していた伊藤すずがモデルと言われていて、自身の師匠である尾崎紅葉から交際を反対されたという自伝的なエピソードも物語に盛り込まれています。都会から離れると少し開放的になるというのは今も昔も変わらないようで、プライベートなことも語りたくなったのかもしれません。
このときの暮らしもいくつかエッセイに残していて、「逗子より」などで読むことができます。

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逗子色の濃い連作小説「春昼」「春昼後刻」

美しい表現と鏡花特有の幻想感のバランスが絶妙な最高傑作の一つ

泉鏡花は、「起誓文」「舞の袖」以外にも、逗子を舞台とした小説をいくつか書いています。その中でもとくに逗子色が色濃いと言えるのが、「春昼」「春昼後刻」という連作の小説です。その文章にちりばめられた美しい表現と鏡花特有の幻想感のバランスが絶妙で、「春昼」「春昼後刻」を泉鏡花の最高傑作と呼ぶ人も少なくありません。

前編の「春昼」は、主人公「散策子」が寺の「出家」(住職)の語る、寺に逗留していた男性の「客人」と寺の近所に住む財産家の妻・玉脇みをの哀しい恋物語を聞くというストーリーです。「客人」は、主人公「散策子」によく似ていると言います。
後編の「春昼後刻」では、寺を後にした「散策子」がその道すがら玉脇みをと出会い、自分も哀しい恋物語の中に巻き込まれていき、最後は悲しい結末を目のあたりにすることになります。

「春昼」の舞台となった岩殿寺と幻想世界のモデル

岩殿寺(岩殿観音)・観音堂(撮影日:2022.06.17)
岩殿寺(岩殿観音)・観音堂(撮影日:2022.06.17)

春昼」の舞台となるのは、今も逗子に現存する岩殿寺です。現在の岩殿寺の正式名称は「がんでんじ」と言いますが、泉鏡花は「いわとでら」と呼ばせています。鏡花独特の表現なのかもしれませんし、実際に地元の方はそう呼んでいたのかもしれません。
また、岩殿寺が所在する場所を「久能谷くのや)」としていますが、実際には同じ読み方で「久野谷」という村にありました。久野谷村は、その後の合併などにより、現在は逗子市久木となっています。

春昼」の終盤で、「客人」は岩殿寺の裏山から、幻想の世界へ迷い込みます。小さな石仏が建ち並ぶ山路を通って、舞台のある場所にたどり着きます。そこには、窓のような箱のような小さな横穴が数十と空いていて、その穴の中には婦人が並んでいたと言います。その穴の一つから婦人が出てきて、舞台に上がりますが、それが玉脇みをで、「客人」の背後からも舞台に出る者が表われたかと思えば、それは自分の姿だったという超常現象(ドッペルゲンガー、自己像幻視)を体験します。
鎌倉編】で取り上げた「星あかり」の終盤にも通じる現象が起きます。ただ、「星あかり」と違うのは、「春昼」ではその後の出来事が克明に語られていることと、主人公「散策子」とよく似た「客人」の物語という、いわば二重のドッペルゲンガー/自己像幻視が起きている点です。
客人」は岩殿寺に駈け戻ると、舞台で起きたことを「出家」に打ち明け、2、3日寺に引きこもったあと、寺の裏山にある蛇の矢倉へ向かいます。

この幻想の世界も、岩殿寺周辺に実在する場所がモデルになっていると考えられます。
小さな石仏が建ち並ぶ山路は、坂東三十三観音第一番札所の杉本寺から第二番礼所である岩殿寺に続く巡礼古道を連想させます。この古道は、鎌倉逗子ハイランドの大規模な住宅地開発で分断されてしまいましたが、現在も残る山路沿いには庚申塔や石仏などが建ち並んでいます。
数十と並ぶ窓のような箱のような小さな横穴というのは、まさに、まんだら堂やぐら群を想像させる描写です。まんだら堂やぐら群は、かつての逗子鎌倉の主要な出入口の一つ・名越切通にある、鎌倉周辺でも最大規模のやぐら群で、小さな横穴が集合住宅のように連なっています。「やぐら」とは、中世に造られた横穴式の墳墓または供養の場のことで、大規模に集積しているまんだら堂やぐら群には、舞台のような平場も存在します。
そして、蛇の矢倉は、岩殿寺観音堂の側にそのような名前の「やぐら」が現存していて、この中の池は海まで続いているという言い伝えがあります。

まんだら堂やぐら群・案内板(撮影日:2023.04.25)
まんだら堂やぐら群(撮影日:2023.04.25)
岩殿寺(岩殿観音)・蛇や蔵(撮影日:2023.06.21)
岩殿寺(岩殿観音)・蛇や蔵(撮影日:2023.06.21)

「春昼後刻」の舞台・逗子海岸と、客人と玉脇みをの魂が交錯する鳴鶴

主人公「散策子」が岩殿寺を後にした「春昼後刻」では、前半は玉脇みをの家の周辺、後半は逗子海岸が舞台となります。海岸沿いの風景は当時から大きく変わっていますが、海の景色はあまり大きくは変わっていないでしょう。

物語の最後で、玉脇みをは、「春昼」の最後で「客人」が打ち上げられたのと同じ、鳴鶴ヶ岬なきつるがさきに打ち上げられているのを発見されます。鳴鶴は、逗子海岸から海を正面に見て左手(葉山側)にある岬で、田越川の河口に位置しています。現在は逗子市浄水管理センターがある辺りです。1970年前後に埋め立てられたため、当時の自然の地形は内陸部に丘として残っています。

このように、「春昼」と「春昼後刻」では、幻想の世界を含めて逗子周辺をモデルに描かれています。ここで取り上げた具体的な場所以外にも、さまざまな逗子のまちの情景が、泉鏡花特有の繊細なタッチで描かれていて、鉄道が開通して間もない明治期の逗子の雰囲気に触れることができる小説でもあります。

逗子海岸・夕暮れ時の浜辺(撮影日:2019.08.12)
逗子海岸・夕暮れ時の浜辺(撮影日:2019.08.12)

【葉山・横須賀編】秋谷の名所に見る草迷宮の世界

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