岩殿寺は、現在の鎌倉市大町と逗子市の小坪や久木を結ぶ名越切通の、逗子側の入口近くに建つ、奈良時代に創建された古刹です。
源頼朝が平家討伐の挙兵をした際、岩殿寺の十一面観音が手助けしたという逸話が残っています。源頼朝はもちろんのこと、妻の北条政子、二人の娘、源実朝といった頼朝ファミリーの他、三浦義澄・義村親子が参詣するなど、武家からもあつく崇敬されていました。
鎌倉幕府が滅亡し、武家の都・鎌倉の衰退とともに、岩殿寺も荒廃してしまいますが、江戸時代には徳川家康が参詣し、寺の再建の手助けをしたと伝えられています。
山門の前や参道周辺など、岩殿寺の境内にはあじさいが多く見られ、逗子のあじさい寺といった風情があります。
山号 | 海雲山 |
宗派 | 曹洞宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 十一面観音 |
創建 | 721~722年(養老5~6年) または、720年(養老4年) |
開山 | 不詳 |
開基 | 徳道、行基両聖人 または、行基 |
岩殿寺は、宅地化が進んだ逗子の谷戸の奥にひっそりと佇んでいますが、逗子でも有数の歴史ある寺院です。初夏には境内が美しいあじさいに彩られる、源頼朝や徳川家康、泉鏡花らゆかりの岩殿寺は、「逗子景勝十選」に選ばれています。
INDEX
岩殿寺は逗子のあじさい寺
岩殿寺がある逗子市のお隣りの鎌倉市には、「あじさい寺」として有名なお寺がいくつもあります。最盛期の岩殿寺のあじさいも見ごたえがたっぷりありますが、訪れる人はあまり多くはありません。
岩殿寺は、穴場のあじさい鑑賞スポットとしてもおすすめです。鎌倉のあじさいの名所のように混雑しませんので、落ち着いて、参拝もあじさい鑑賞もできます。
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坂東三十三観音・第2番札所
岩殿寺(岩殿観音)は「坂東三十三観音」の第二番札所になっています。「坂東三十三観音」の第一番札所・杉本寺(杉本観音)のある鎌倉市浄明寺から、浄明寺緑地や鎌倉逗子ハイランドを経て名越切通までの間には、現在も巡礼古道や平成巡礼道と呼ばれる山道が続いていて、ハイキングコースとして利用できます。
第二番札所・岩殿寺(岩殿観音)から名越切通を鎌倉側に越えると、第三番札所・安養院(田代観音)があります。
鎌倉時代初期に開設された「坂東三十三観音」は、鎌倉の杉本寺からはじまり、一度岩殿寺で現在の逗子市に出て、安養院でまた鎌倉に戻りますが、源頼朝の時代には、このあたりも鎌倉エリアの範囲内であったのでしょう。
山門の先にある長い石段を登りきると、観音堂が建っています。現在の観音堂は江戸時代の1728年(享保13年)に再建されたものとされ、逗子市の重要文化財に指定されています。
観音堂
岩殿寺の観音堂には、室町時代の作とされる十一面観音(非公開)が祀られています。
奥の院岩殿観音
納経所・本堂
納経所は、岩殿寺の本尊・十一面観音を祀る本堂の手前にあり、納経や御朱印を受け付けています。
岩殿寺の十一面観音は、12年に一度、午年の秋に御開帳されます。普段は、納経所から前立本尊にお参りすることができます。
関東百八地蔵霊場・第89番札所
岩殿寺はまた、「関東百八地蔵霊場」の第八十九番札所になっています。
子育地蔵尊
爪堀地蔵尊
岩殿寺は泉鏡花ゆかりの寺院
岩殿寺は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花ゆかりの寺院でもあります。泉鏡花は3年ほど逗子に逗留していて、その際、たびたび、岩殿寺へも参拝していました。小説「春昼」(1906)の舞台になっている他、「逗子より」という随筆でも岩殿寺について書いています。
鏡花は、「がんでんじ」ではなく、「いはどのでら」などと呼んでいました。
岩殿寺には、山門の横に泉鏡花の句碑が建っています。また、観音堂の近くには、鏡花が寄進したという「鏡花の池」と名付けられた池があります。
大崎公園や立石公園に文学碑があるなど、岩殿寺の他にも、逗子や逗子周辺には、泉鏡花にまつわる場所がいくつかあります。
岩殿寺のその他の見どころ
往時には七堂伽藍を備えていたという岩殿寺も、何度か衰退と再興をくり返して、現在は静かな佇まいです。参道や境内に並び立つ巡礼者が奉納した石碑の数々が、歴史の長さを物語っています。
慈母観音・慈父観音
利生堂
熊野権現社
稲荷明神社・猿田彦神社
蛇や蔵
このやぐら中の池が江の島まで続いているという伝説があります。
泉鏡花の小説「春昼」では、物語のクライマックスに「蛇の矢倉」として登場します。