新大津駅は、横須賀市東部にある、京急久里浜線の駅です。駅名に「新」を冠しているのは、近くに先行して開業していた「京急大津駅」(当時は湘南大津駅)があったためです。京急大津駅は、一つ上り方面寄りの堀ノ内駅で京急久里浜線と分岐している京急本線の駅です。
駅の開業は戦時中の1942年(昭和17年)12月1日で、現在の京急久里浜線が京急久里浜駅(当時は久里浜駅)まで開業する際に、その中間駅の一つとして設置されました。
この路線は、旧海軍の施設が横須賀市南部の久里浜にも拡張され、それにあわせて都市域も南へ拡大をはじめたため、軍や横須賀市の要請を受けて建設されたものでした。そのようななか、この場所に駅が設置された理由は、県立横須賀高等女学校(現在の県立横須賀大津高校)の利便性を図るためというものでした。資材の投入が軍事目的に集中していくなか、当時の状況からは不要不急とは言い難い理由で充てられるのは、めずらしいことだったと言えるでしょう。
今でも県立横須賀大津高校は、三浦半島でも有数の駅近の高校の一つで、新大津駅利用者もかなりの割合をこの学生たちで占めています。

この県立横須賀大津高校以外にも、新大津駅の周辺には、大津公園や大津中学校など、大きな区画の施設が多いのが特徴です。現在の大津公園から大津中学校にかけての土地は、旧海軍の大津射的場と横須賀刑務所だった場所で、戦後、横須賀市に払い下げられ、公園や学校が整備されました。軍港や工場などほど人の出入りは多くなかったかもしれませんが、横須賀市内の他の駅と同様、開業当初の新大津駅は軍の利用者も多かったものとみられます。
開業当初の新大津駅は「鳴神駅」と名づけられていました。これは、当時、日本が占領していたアリューシャン列島(アラスカ西部)・キスカ島の日本名「鳴神島」に由来するものです。キスカ島の占領は旧日本軍がアメリカ領を攻略した数少ない事例の一つで、通学の便を図るためとしつつも、駅名にはしっかり国威高揚の意図が込められていました。
なお、キスカ島は、駅の開業翌年の1943年(昭和18年)8月にはアメリカ軍によって奪還されています。
この直前、キスカ島にいた旧日本軍の守備隊5千名あまりは、海軍少将・木村昌福が指揮する撤退作戦により無傷で生還しています。「キスカの奇跡」などと称されるこの作戦は、第二次世界大戦中の海戦における最大の奇跡とも言われています。
このように、複雑な経緯を持ちながらも縁起が良い「鳴神」という駅名は、戦後しばらくまで使われた後、1948年(昭和23年)に「新大津駅」と改称しています。
