馬門山墓地は、京急久里浜線の北久里浜駅と新大津駅の間の「馬門山」と呼ばれる小高い山の上にある、横須賀市営の墓地です。
第二次世界大戦までは、旧日本海軍の戦死者・殉職者のための墓地だったため、「馬門山海軍墓地」「横須賀海軍墓地」などとも呼ばれています。
毎年5月には、旧日本海軍の士官らの福利厚生組織を前身に持つ横須賀水交会や地元の大津観光協会などによる共催で、「馬門山海軍墓地墓前祭」が執り行われています。
参道沿いにはあじさいや彼岸花が植栽されていて、馬門山墓地は隠れたお花見スポットでもあります。
馬門山墓地は、特別名の知れた人物が眠っているわけでも、公園のように普段から人が集まるような場所でもないため、横須賀市民や地域の人たちにもその存在はあまり知られていません。
かつての軍港都市・横須賀には、YOKOSUKA軍港めぐりや猿島のような陽の当たる観光資源となったものがある一方、馬門山墓地・横須賀海軍墓地のように、静かに、生々しく、暗い過去を語りかけてくる、時が止まったような場所もあります。
旧日本海軍の戦死者・殉職者のための墓地
拝霊堂・横須賀海軍墓地
馬門山墓地は、1882年(明治15年)に当時の海軍省によって、旧日本海軍の戦死者・殉職者のための埋葬地として設けられました。
国道134号から少し奥まった場所にある墓地の入口を入り坂道を登って行くと、正面に拝霊堂が見えてきます。その背後には、単独埋葬者の墓石が整然と建ち並んでいます。
さらに参道を道なりに進んで行くと、木々に囲まれた馬門山山頂の広場に出ます。この広場のまわりには、大正から昭和期までの戦や事故で命を落とした戦死者・殉職者の慰霊碑などが並んでいます。
北京籠城軍艦愛宕戦死者碑のみ、はじめは同じ横須賀市内の大勝利山で建立され、昭和初期に馬門山墓地に移転してきたものです。
海軍関係 単独埋葬者 | 279柱 |
軍艦河内殉難者之碑 | 621柱 |
軍艦筑波殉難者之碑 | 152柱 |
特務艦関東殉難者碑 | 68柱 |
北京籠城軍艦愛宕戦死者碑 | 5柱 |
上海事変戦死者之碑 | 59柱 |
第四艦隊遭難殉職者之碑 | 36柱 |
支那事変大東亜戦争戦没者忠霊塔 | 372柱 |
一般市民 | 305基 |
北京籠城軍艦愛宕戦死者碑
特務艦関東殉難者碑・軍艦筑波殉難者之碑
軍艦河内殉難者之碑・第四艦隊遭難殉職者之碑
支那事変大東亜戦争戦没者忠霊塔
上海事変戦死者之碑
初夏はあじさい、秋は彼岸花の咲く参道
第二次世界大戦後、馬門山墓地は横須賀市に引き継がれ、一般市民向けの墓地も造成されました。
墓地内では、参道沿いなどで、初夏にはあじさい、秋には彼岸花を見られます。