葉山・一色の実教寺は、日蓮腰掛石の旧跡に建つ寺院です。もともとこの場所に寺院はありませんでしたが、日蓮の時代からおよそ240年経った戦国時代(室町時代後期)の大永年間(1521年~1528年)、鎌倉・小町にあった「実教寺」を日蓮腰掛石旧跡に移すかたちで、「腰懸山実教寺」として創建されました。
実教寺の境内には、いずれも葉山町の重要文化財に指定されている、葉山で唯一の地蔵庚申塔や、葉山御用邸造営の際に発掘された7人の遺骨を祀った「古将の墓」といった史跡もあります。
| 山号 | 腰懸山 |
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 三宝祖師 |
| 創建 | 大永年間(1521年~1528年) 中興:嘉永年間(1848年~1854年) |
| 開山 | 日意 中興開山:日義 |
| 開基 | ― |

INDEX
「日蓮腰掛石」と実教寺の縁起

実教寺の縁起によれば、布教のため房総半島から鎌倉へと旅立った日蓮上人は、海路で三浦半島の米ヶ浜(現在の横須賀市米が浜通、深田台のあたり。その旧跡には龍本寺が建つ)に渡り、そこから山路を行く途中、このあたりにあった石に腰掛けて休息し、守殿明神(森戸明神。現在の森戸神社)を遠くから拝んだと言います。
その後、日蓮は田越川を渡り、名越坂(名越切通)を越えて鎌倉に入り、名越・松葉ヶ谷で庵を結びました(現在の妙法寺、安国論寺、長勝寺)。日蓮はこの松葉ヶ谷を拠点にして、鎌倉での布教を進めていきました。
このとき日蓮が腰掛けた石は、村民から「日蓮腰掛石」と呼ばれ、その由緒が言い伝えられてきました。
その旧跡に、戦国時代(室町時代後期)の大永年間(1521年~1528年)、日意上人により堂宇が建立されたのが、葉山の「腰懸山実教寺」のはじまりです。
これからさらに300年ほど経った嘉永年間(1848年~1854年)、荒廃していた寺を日義上人によって江戸・神田の豪商・伊東茂右衛門ら有志を募り、再建されたのが、現在の実教寺です。


葉山唯一の地蔵菩薩の庚申塔

江戸時代前期の元禄9年(1696年)に建立された庚申塔です。地蔵菩薩の庚申塔はこの実教寺のものが葉山で唯一だと言います。
庚申塔や馬頭観音は、後の時代に、区画整理などで近くの寺院や神社に集められることが多いですが、この地蔵庚申塔の銘文には実教寺の名前が刻まれているため、実教寺によって建立された地蔵庚申塔だということが分かっています。
葉山御用邸造営時に発掘された7人の人骨を供養した 古将の墓

実教寺にある「古将の墓」は、明治時代に葉山御用邸が造営される際に出土した、7人の人骨を供養し、埋葬したものです。
「古将之墓記」と後の時代に宮内庁によってまとめられた報告書によれば、海辺より1町ほど(1町は約109m)の場所の旧地主・鈴木八兵衛地所内に、稲荷社を祀った「いなり塚」と呼ばれる小高い丘がありました。「一色古墳」(現存せず)などと名付けられたこの砂丘上の円墳には、巨大な石棺に、将とみられる人物を中心に、その前方に女性と12、3歳の少年1人ずつ、左右に2人ずつの、計7人が合祀されていたと言います。また、人骨の他にも、骨鏃(動物の骨や角などを加工して作られた矢じり)、鉄鏃(鉄製の矢じり)、直刀断片などが出土したことが記録されていて、それらの特徴から比較的古い時期の古墳であったとみられています。
実教寺のその他の見どころ



実教寺は仙元山ハイキングコース登山口の一つ

実教寺の境内左側からは、仙元山ハイキングコースが続いています。実教寺の登山口から登ると、三浦アルプス(二子山山系)南尾根(観音塚、乳頭山方面)への分岐やソッカ山頂近くを経由して、仙元山山頂に着きます。葉山教会側の木の下登山口からのルートより3倍近く距離がありますが、実教寺側からのほうがハイキングコースらしさを味わえます。


実教寺周辺の見どころ
花の木公園・一色海岸方面








