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尻こすり坂(尻こすり坂通り)| 国道134号久里浜~野比間にあるかつての三崎道有数の難所

尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂上の切通し(撮影日:2025.04.09) 横須賀
尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂上の切通し(撮影日:2025.04.09)

尻こすり坂(尻摺坂、斯里古須利坂)しりこすりざかは、久里浜野比の間にある、国道134号の坂道です。尻こすり坂というユニークな名前は、坂を下るときに尻が地面に擦れるほどの急坂だったという逸話に由来します。明治時代に頂上部分が切通し状に大きく開削されたため、現在は勾配が緩くなっています。しかし、かつては、浦賀から久里浜を通り三崎に至る三崎道(三崎街道、三浦往還)イチの難所として知られていました。

狭義の尻こすり坂神明中学校横付近から坂の頂上にあたるハイランド入口付近までの久里浜側の坂道(久里浜ハイランド入口の上り勾配の坂道)を指しますが、野比側の坂道(ハイランド入口野比の下り勾配の坂道)を含めて尻こすり坂と呼ぶこともあります。

横須賀市により、尻こすり坂は、前後の区間(国道134号夫婦橋野比駅入口)を含めて「尻こすり坂通り」という愛称が付けられています。
久里浜の中心部を横断している尻こすり坂通りは、通りの名前を示す標識がくりはま花の国などを訪れた観光客の目に触れる機会も多いです。この、一度目にしたら忘れられないキャッチーな名前の坂道は、坂が多いことで知られる横須賀市内でもトップクラスの知名度をほこる坂道と言えます。

尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂下よりハイランド方面を望む(撮影日:2024.10.11)
尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂下よりハイランド方面を望む(撮影日:2024.10.11)
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八幡久里浜村名主・長島雪操の筆による尻こすり坂開鑿記念碑

尻こすり坂開鑿記念碑(撮影日:2025.04.09)
尻こすり坂開鑿記念碑(撮影日:2025.04.09)

尻こすり坂の頂上から少し下った切通し部分には、尻こすり坂の開削を記念して建立された、尻こすり坂開鑿記念碑斯里古須利坂開鑿記念碑)が建っています。尻こすり坂開削の経緯が刻まれたこの碑文は、地元・八幡久里浜村の名主で、幕末から明治初期にかけて文人画家としても活躍した、長島尚賢長島雪操)の筆によるものです。

長島尚賢は、やはり八幡久里浜村の名主だった父・六兵衛とともに、江戸時代後期の天保年間(1830年~1844年)に尻こすり坂の開削に着手しました。

これと同じ時代に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」によると、久里浜村には三崎道白砂坂稲荷坂という二つの坂があると書かれています。稲荷坂は、現在のくりはま花の国コスモス・ポピー園あたりにあった古い地名です。もう一方の白砂坂白砂は、野比村にあった古い地名です。
新編相模国風土記稿」が編さんされた時点ではまだ尻こすり坂の開削は完了していないためか、その名前は見られません。

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三浦郡長・小川茂周の呼びかけで完成した尻こすり坂開削工事

尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂上より久里浜方面を望む(撮影日:2025.04.09)
尻こすり坂(尻こすり坂通り)・坂上より久里浜方面を望む(撮影日:2025.04.09)

現在の尻こすり坂は直線的に改良されていますが、開削前に使われていたルートは当然もっと山道だったはずです。明治時代後期の地図を見ると、尻こすり坂と並行するように、現在の神明中学校の裏山から野比中学校の裏山にかけて続く山道の存在が確認できます。この山道は山頂付近で稲荷坂から続く山道とも合流しています。「新編相模国風土記稿」の記述からは、これらのルートが当時の三崎道だったと考えられます。

結局、長島六兵衛・尚賢の時代には尻こすり坂開削は成功せず、尚賢の子・安尚の時代になりようやく実現することになりました。長島家の悲願が、ときの三浦郡の郡長・小川茂周に伝わることになり、1884年(明治17年)に着工し、翌1885年(明治18年)に竣工しました。
当時の三浦郡は、久里浜村を含む三浦半島の大部分を郡域としていました。小川茂周は、尻こすり坂の開削は、久里浜村やその周辺地域だけの問題にとどまらず、三浦半島全体の発展に不可欠だということをよく理解していたのでしょう。三浦郡全体の有力者に呼びかけて、工費5,000円(現在の金額でおよそ1億円)、のべ3万人の人々が関わり、完成しました。

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尻こすり坂の下をくぐるのは京急線最長のトンネル区間

尻こすり坂(尻こすり坂通り)・「尻摺坂上」バス停付近(撮影日:2025.04.09)
尻こすり坂(尻こすり坂通り)・「尻摺坂上」バス停付近(撮影日:2025.04.09)

その後の尻こすり坂は、明治時代後期には乗合馬車が、大正時代には乗合自動車が走るようになり、浦賀久里浜方面と野比以南の三浦三崎方面を結ぶ幹線道路となりました。現在でも、国道16号とともに三浦半島をほぼ一周する、国道134号の一部に指定されています。

1963年(昭和38年)に開通した京急久里浜線・京急久里浜駅(当時は京浜久里浜駅)~YRP野比駅(当時は野比駅)の線路は、尻こすり坂(尻こすり坂通り)に並行して敷かれました。京急久里浜駅を出ると尻こすり坂と同様に登り勾配を進んで行きますが、京急線の線路は坂の頂上までは登らず、坂の中腹付近でトンネルに入ります。トンネルの数が多いことで有名な京急線でも最長のトンネルです(羽田空港付近などの地下区間を除く)。
この京急線のトンネルの長さからも、尻こすり坂が横須賀市内でも有数の難所だったということをうかがい知ることができます。

尻こすり坂(尻こすり坂通り)と京急久里浜線(撮影日:2025.04.09)
尻こすり坂(尻こすり坂通り)と京急久里浜線(撮影日:2025.04.09)
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尻こすり坂(尻こすり坂通り)・尻こすり坂開鑿記念碑周辺の見どころ

久里浜側

野比側

DATA

住所 横須賀市神明町、野比4丁目 ※久里浜側の尻こすり坂下から坂上まで
アクセス
行き方

●尻こすり坂下’(久里浜側)まで
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より徒歩約10分、JR横須賀線「久里浜駅」より徒歩約15分
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より京急バス「(尻摺経由)YRP野比駅」行き、または「久里浜医療センター」行きバスで、『尻摺坂下』下車
・京急久里浜線「京急久里浜駅」、JR横須賀線「久里浜駅」より京急バス「ハイランド」行きバスで『尻摺坂下』下車

●尻こすり坂中腹(久里浜側)まで
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より徒歩約15分、JR横須賀線「久里浜駅」より徒歩約20分
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より京急バス「(尻摺経由)YRP野比駅」行き、または「久里浜医療センター」行きバスで、『尻摺坂』下車
・京急久里浜線「京急久里浜駅」、JR横須賀線「久里浜駅」より京急バス「ハイランド」行きバスで『尻摺坂』下車
※『尻摺坂』バス停は、ハイランド・YRP野比駅・久里浜医療センター方面行きのみ停車します。京急久里浜駅・JR久里浜駅方面行きは停車しません。

●尻こすり坂上まで
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より徒歩約25分、JR横須賀線「久里浜駅」より徒歩約30分
・京急久里浜線「京急久里浜駅」より京急バス「(尻摺経由)YRP野比駅」行き、または「久里浜医療センター」行きバスで、『尻摺坂上』下車
・京急久里浜線「京急久里浜駅」、JR横須賀線「久里浜駅」より京急バス「ハイランド」行きバスで『入口商店会前』下車、徒歩約1分
※『尻摺坂上』バス停は、YRP野比駅・久里浜医療センター行きのみ停車します。ハイランド行きは停車しません。

※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
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