鎌倉

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歴史上の人物

畠山重忠ゆかりの地

「坂東武士の鑑」と称された武蔵国の武将・畠山重忠はたけやま しげただは、三浦半島にもゆかりがある人物です。畠山重忠が源頼朝に仕えて鎌倉にも拠点を持つようになると、重忠に仕える人たちも多く鎌倉周辺に移...
2022.07.21
歴史上の人物

和田義盛ゆかりの地

和田義盛(和田殿)とは? | 略年表&三浦一族の家系図 和田義盛ゆかりの地は、三浦半島の、とくに西海岸沿いに点在しています。義盛の本拠地であった三浦半島南西部の和田の地はもちろんのこと、鎌倉と...
2022.07.03
鎌倉

百八やぐら

百八やぐらは、鎌倉・二階堂の谷戸に建つ覚園寺の裏山一帯に広がるやぐら群です。やぐらは、天園ハイキングコース(鎌倉アルプス)の覚園寺入口と今泉台6丁目入口の分岐(交差点)付近から、覚園寺の山号になって...
鎌倉

鎌倉大仏殿高徳院

鎌倉のシンボルの一つである鎌倉大仏(鎌倉大佛、長谷大仏)。券売所を過ぎるとすぐ目に飛び込んでくる露坐の大きなその姿は、他のどのお寺のご本尊よりもシンプルに、真っ先にお参りすることになります。 ...
2022.06.25
歴史上の人物

源頼朝ゆかりの地

当然のことながら、鎌倉には、鎌倉幕府を創設した源頼朝ゆかりの場所が数多くあります。その正確な数を把握することはできませんが、鎌倉時代に起源をもつ寺社などの少なくとも半数以上は、何らかの形で頼朝が関わ...
2022.06.22
鎌倉

岩船地蔵堂

岩船地蔵堂いわふねじぞうどうには、源頼朝と北条政子の最初の子である大姫おおひめの守り本尊と伝わる地蔵尊が祀られています。諸説ありますが、源頼朝と北条政子の次女・乙姫(三幡)がこの近くに葬られ、墳墓堂...
2022.06.15
鎌倉

長窪の切通し(高野の切通)

長窪ながくぼの切通し(高野の切通)は、大船の高野台と呼ばれるエリアにある、六国見山のふもとに位置する住宅地の中に残る切通しです。 長窪の切通しは、現在の天園ハイキングコースから続く尾根道の、最...
鎌倉

大船の切通し

大船の切通しは、大船の多聞院や熊野神社の裏から大船高校の裏に通じている切通しです。大船高校側からは、六国見山への登山口も近いです。 大船の切通しがいつ頃整備されたのかは分かりませんが、中世の鎌...
鎌倉

常楽寺・北条泰時の墓

常楽寺じょうらくじは、1237年(嘉禎3年)に、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時ほうじょう やすときが、妻の母の供養のために建立した粟船御堂あわふねみどうがはじまりです。泰時の死後、泰時の法名・常楽...
2022.06.08
鎌倉

六国見山森林公園

六国見山の名称は、山頂から、相模・武蔵・伊豆・上総・下総・安房の六国を望めたことに由来します。六国見山森林公園として整備された公園の展望台からは現在も眺望が良く、鎌倉市街、富士山や箱根の山々、横浜の...
2022.06.08
歴史上の人物

三浦義村ゆかりの地

三浦義村が主に活躍した時代は、すでに鎌倉幕府が成立した後のため、鎌倉殿(鎌倉幕府の将軍)の有力御家人の一人として、鎌倉を拠点に活動していました。そのため、三浦氏や三浦一族という響きから連想される現在...
2022.05.20
鎌倉

護良親王墓&理智光寺跡

元弘の乱で鎌倉幕府を倒幕して、武家政権から天皇中心の社会へと導く立役者となった、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)は、無実の罪を着せられて、鎌倉の東光寺(現在の鎌倉宮が...
2022.05.13
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