鎌倉殿の13人

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横須賀

満昌寺・三浦義明の墓

満昌寺まんしょうじは、三浦氏の初代とされる三浦為通みうら ためみち(村岡為通)から数えて第4代当主にあたる三浦大介義明みうら おおすけ よしあきを開基として、源頼朝が建立しました。満昌寺には三浦...
2022.08.21
歴史上の人物

畠山重忠ゆかりの地

「坂東武士の鑑」と称された武蔵国の武将・畠山重忠はたけやま しげただは、三浦半島にもゆかりがある人物です。畠山重忠が源頼朝に仕えて鎌倉にも拠点を持つようになると、重忠に仕える人たちも多く鎌倉周辺に移...
2022.07.21
歴史上の人物

和田義盛(和田殿)とは? | 略年表&三浦一族の家系図

和田義盛とはこんな人物 和田義盛は、三浦一族の第4代当主・三浦大介義明の長男である杉本義宗の嫡男です。三浦一族の第6代当主となる三浦義村は父方のいとこ(従兄弟)にあたります。弓の名手として知られた和...
2022.07.19
歴史上の人物

三浦義村(三浦平六)とは? | 略年表&三浦一族の家系図

三浦義村とはこんな人物 三浦義村は、鎌倉時代前期の三浦氏宗家(本家)の当主で、三浦義澄の子、三浦大介義明の孫です。和田義盛は父方のいとこ(従兄弟)、北条義時は母方のいとこ(従兄弟)にあたります。鎌倉...
2022.07.09
歴史上の人物

和田義盛ゆかりの地

和田義盛(和田殿)とは? | 略年表&三浦一族の家系図 和田義盛ゆかりの地は、三浦半島の、とくに西海岸沿いに点在しています。義盛の本拠地であった三浦半島南西部の和田の地はもちろんのこと、鎌倉と...
2022.07.03
逗子

三浦胤義遺孤碑

三浦胤義みうら たねよし(平九郎)は、鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将で、三浦義澄みうら よしずみの子、三浦義村みうら よしむらの弟です。正室は、鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)源頼家の妻の一人であ...
三浦

三浦義村の墓

三浦義村みうらよしむらは、鎌倉幕府創設に重要な役割を果たした三浦義澄みうらよしずみの次男で、三浦一族の最盛期を築いた策士です。1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵した際に、衣笠城にたてこもり、自身の...
2022.06.27
歴史上の人物

源頼朝ゆかりの地

当然のことながら、鎌倉には、鎌倉幕府を創設した源頼朝ゆかりの場所が数多くあります。その正確な数を把握することはできませんが、鎌倉時代に起源をもつ寺社などの少なくとも半数以上は、何らかの形で頼朝が関わ...
2022.06.22
鎌倉

岩船地蔵堂

岩船地蔵堂いわふねじぞうどうには、源頼朝と北条政子の最初の子である大姫おおひめの守り本尊と伝わる地蔵尊が祀られています。諸説ありますが、源頼朝と北条政子の次女・乙姫(三幡)がこの近くに葬られ、墳墓堂...
2022.06.15
横浜

東光禅寺・畠山重忠供養塔

東光禅寺とうこうぜんじは、鎌倉時代初期に活躍した武将・畠山重忠が開基となって創建された寺院です。山門の横には畠山重忠の供養塔もあり、東光禅寺は畠山重忠ゆかりの寺院です。 創建当時は鎌倉の薬...
2022.06.15
横浜

畠山重保の墓

畠山重保はたけやま しげやすは、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将・畠山重忠はたけやま しげただの嫡男です。父・重忠は、源頼朝が伊豆で挙兵した当初は平家方についていましたが、すぐに頼朝に加勢...
鎌倉

常楽寺・北条泰時の墓

常楽寺じょうらくじは、1237年(嘉禎3年)に、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時ほうじょう やすときが、妻の母の供養のために建立した粟船御堂あわふねみどうがはじまりです。泰時の死後、泰時の法名・常楽...
2022.06.08
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