鎌倉海浜公園坂ノ下地区は、由比ヶ浜(由比ヶ浜海岸・坂ノ下海岸)の西端にある、海に面した公園です。鎌倉海浜公園は、由比ガ浜地区、坂ノ下地区、稲村ガ崎地区(稲村ケ崎公園)の3ヵ所にあり、坂ノ下地区はさらに、「三角地」と「プール前」に分かれています。
「三角地」は、由比ヶ浜海岸から続く、坂ノ下海岸に隣接していて、材木座海岸やリビエラ逗子マリーナから三浦半島西海岸方面を一望できます。
「プール前」は、その名前のとおり、鎌倉海浜水泳プールに隣接した公園です。鎌倉海浜水泳プールは、夏季のみ営業される、屋外型の市民プールです。
鎌倉海浜公園坂ノ下地区は海や空が開けた公園ですが、稲村ヶ崎の背後にあたるため、夕日を眺めるのにはあまり適していません。
その代わり、鎌倉海岸(由比ヶ浜海岸・材木座海岸)の海上から打ち上げられる「鎌倉花火大会」の日は、絶好の観覧スポットになります。



INDEX
まちも公園も穴場エリアの坂ノ下

鎌倉海浜公園坂ノ下地区は、人気観光地・鎌倉の、海に面した抜群のロケーションにありながら、それほど訪れる人が多くない、穴場の公園です。最寄り駅の長谷駅からの人の流れは圧倒的に鎌倉大仏や長谷寺(長谷観音)などの山側に強く、行く場所に迷っても海側に流されるようなことはまずないでしょう。ちょうど、由比ガ浜通り、長谷駅周辺、稲村ヶ崎~七里ヶ浜といった、観光地ならではの人気ショップが建ち並ぶエリアからは外れていることも大きいです。
けれども、そんな鎌倉海浜公園坂ノ下地区の近くの、星の井周辺や坂ノ下の路地裏には、老舗から近年オープンの話題のお店まで、知る人ぞ知る評判のお店が点在しています。その評価は、むしろの他の周辺エリアの平均よりも高いくらいです。

源実朝の小倉百人一首の歌碑と渡宋計画

鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)には、鎌倉幕府第3代将軍(鎌倉殿)源実朝の歌碑が建っています。
源実朝は歌人としても優れた人物として知られていて、藤原定家に師事し、数多くの和歌の名歌を残しています。自身の歌集「金槐和歌集」を残してる他、92首が「勅撰和歌集」に入集しています。
鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)の歌碑には、「小倉百人一首」第93番に選ばれた歌が刻まれています。
世の中は つねにもがもな なぎさこぐ
小倉百人一首 93番 鎌倉右大臣(源実朝)
あまの小舟の つなでかなしも
漁師の何気ない日常の風景を見ながら、世の中が常に変わらずあってほしい、と詠んだ歌です。
有力御家人たちが北条時政・義時ら執権北条氏によって、次々に粛清されていく激動の鎌倉時代前期にあって、源実朝は、人一倍、平和を願っていたのでしょう。
鎌倉海浜公園坂ノ下地区に隣接する坂ノ下海岸は、今でも、この歌に見えるような漁師さんが漁業を営む場所でもあります。
源実朝はまた、南宋出身の工人・陳和卿に、渡宋のための大船建造を依頼しました。陳和卿は、焼失した東大寺大仏殿の再建に尽力した人物として知られています。
この大船は1217年(建保5年)4月に完成して、鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)の歌碑の背後にある由比ヶ浜で進水に臨みますが、船は海に浮かばず、実朝の渡宋計画は失敗に終わります。
「小倉百人一首」の歌に込められた思いのように、実朝は平和な土地を求めて、鎌倉を離れたかったのかもしれません。
この2年後、源実朝は自身の右大臣昇任を祝う鶴岡八幡宮拝賀の際に、甥の公暁に暗殺され、28年の短い生涯を終えることになります。


以下のリンク先からその他の【源実朝ゆかりの地】もご覧ください
鎌倉海浜公園坂ノ下地区周辺の見どころ







関連特集
