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源実朝ゆかりの地 | 和歌などの朝廷文化を愛した最後の源氏将軍

源実朝ゆかりの地 | 和歌などの朝廷文化を愛した最後の源氏将軍 歴史上の人物
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鎌倉幕府第3代将軍(鎌倉殿)であり、最後の源氏将軍である、源実朝みなもとのさねとも。武士が築き上げた鎌倉幕府の頂点としての評価はさまざまですが、その人物像については、穏和な性格だったようであり、比較的好意的に捉えられることが多いです。当時の鎌倉幕府の中心にいた人たちが、たとえそれが文官であったとしても、武力でものを言わすタイプがほとんどであった中、源実朝はあきらかに異彩を放つ存在でした。

源実朝は、武家の棟梁というより文化人として語られることが多く、それは、実朝ゆかりの地にも色濃く表われています。和歌や舞楽といった朝廷文化へ注いだ深い愛情や、当時最新の仏教であった禅の本場と言える南宋へのあこがれなどが見て取れます。
源実朝ゆかりの地を訪ねると、それらの多くが志半ばでついえてしまった無念さを、より一層感じ取ることができるでしょう。

鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)には、歌人としても知られた源実朝の歌碑が建っています。

世の中は つねにもがもな なぎさこぐ
あまの小舟の つなでかなしも

小倉百人一首 93番 鎌倉右大臣(源実朝)

漁師の何気ない日常の風景を見ながら、世の中が常に変わらずあってほしい、と詠んだ歌です。
有力御家人たちが北条時政義時執権北条氏によって、次々に粛清されていく激動の鎌倉時代前期にあって、源実朝は、人一倍、平和を願っていたのでしょう。
鎌倉海浜公園坂ノ下地区に隣接する坂ノ下海岸由比ヶ浜西端の海岸)は、今でも、この歌に見えるような漁師さんが漁業を営む場所でもあります。

マップは、スマートフォンやタブレットでは二本指で操作できます。

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源実朝最期の地となった鶴岡八幡宮

1219年(建保7年)1月のある日、雪の積もる鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうで、自身の右大臣昇任を祝う拝賀行事が行われました。その帰りがけに、源実朝は甥(源頼家の次男または三男)の公暁に襲われ、命を落としました。実朝には実子がいなかったため、公暁とは親子の関係(猶子)を結んでいましたので、義理の子どもに殺されたことにもなります。
定説では、源実朝を暗殺する際、公暁は、鶴岡八幡宮の本殿に続く大石段の途中の脇にあった銀杏の木の陰に隠れて待ち伏せをしていたとされています。
鶴岡八幡宮には、この公暁が隠れていたとされる通称:隠れ銀杏が残っていましたが、2010年3月に強風のため倒れてしまいました。
現在は、大銀杏があった大石段の隣で、その幹から芽生えたひこばえ(若芽)と、根から育った若木が新たな歴史を刻みはじめています。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、源実朝の亡骸は勝長寿院(廃寺)に葬られたと書かれています。ただし、公暁によって持ち去られた首は行方不明になったと伝えられています。この後、公暁は一旦は逃れますが、ほどなくして追手に討ち取られてしまいます。
なお、鶴岡八幡宮の境内には、父・頼朝とともに源実朝が祀られている、白旗神社が鎮座しています。白旗神社では、毎年、実朝の誕生日に「実朝祭」が開催されています。
また、白旗神社の前には、源実朝の首塚がある秦野市から移植された「実朝桜」と呼ばれる八重桜も植えられています。

●住所
鎌倉市雪ノ下2-1-31

●拝観料
無料(志納、一部施設は有料)

●駐車場
あり(有料)※大型バスのみ事前予約可能

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約10分
※混雑を避けたい場合は、「鎌倉駅(西口)」より、今小路、横大路経由で、徒歩約15分

鶴岡八幡宮・倒れた大銀杏の根元(左)と根から育った若木(中央)(撮影日:2021.12.03)
鶴岡八幡宮・大石段
鶴岡八幡宮・倒れた大銀杏の根元とひこばえ(撮影日:2021.12.03)
鶴岡八幡宮・倒れた大銀杏の根元とひこばえ
鶴岡八幡宮・白旗神社(撮影日:2021.03.16)
鶴岡八幡宮・白旗神社
鶴岡八幡宮・白旗神社の前で咲く実朝桜(撮影日:2024.04.14)
鶴岡八幡宮・白旗神社の前で咲く実朝桜

周辺の見どころ
源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)
宝戒寺

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源実朝の菩提を弔うために母・政子が建立した阿弥陀堂

鎌倉幕府の成立の母とも言える北条政子は、源氏再興北条氏の繁栄と引き換えにとでも言うように、自らの実子や孫を若くして亡くしていくことになります。最後に残った実子の源実朝が暗殺された際は、さぞかし深い悲しみに打ちひしがれたことでしょう。それは、実朝の死後、政子実朝のために尽くしたいくつかの痕跡からもうかがい知ることができます。
その一つが、北条政子が鎌倉時代を代表する仏師・運慶に依頼して製作させたと伝わる阿弥陀如来像です。この仏像も、安置されていた阿弥陀堂も、江戸時代の1727年(享保12年)の火災によって焼失してしまい現存しませんが、京急逗子線神武寺駅(逗子市池子)近くに建つ東昌寺とうしょうじ阿弥陀堂がその流れをくむ仏堂で、1756年(宝暦6年)に再建されたものです。

●住所
逗子市池子2-8-33

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
あり

●公共交通機関
京急線逗子線「神武寺駅」より徒歩約3分

東昌寺・阿弥陀堂(撮影日:2022.03.28)
東昌寺・阿弥陀堂

周辺の見どころ
池子の森自然公園
神武寺
第一運動公園

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源実朝愛用の2つの舞楽面が伝わる瀬戸神社

北条政子はまた、自らが創建した琵琶島神社と向かい合うように建つ、金沢八景駅(横浜市金沢区)近くの瀬戸神社に、源実朝が愛用していたという2つの舞楽面を奉納しています。この舞楽面は「陵王りょうおう」と「抜頭ばとう」と言い、政子実朝の菩提を弔うために奉納したと伝わるもので、国の重要文化財に指定されています。「抜頭」は、運慶または運慶工房の作という見方がある、鎌倉時代前期を代表する舞楽面の一つです。
果たして源実朝自身が舞楽をたしなんでいたのか、実朝が関与した儀式に舞楽が奉納される際に演者に使用させていたものなのかは分かりませんが、朝廷の文化にあこがれていたと伝わる実朝らしい遺品であると言えます。

●住所
横浜市金沢区瀬戸18-14

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
車祓のスペースのみ(瀬戸神社参拝によるイオン金沢八景店駐車場の無料利用は終了しました)

●公共交通機関
京急線・金沢シーサイドライン「金沢八景駅」より徒歩約2分

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寿福寺のやぐらに安置されている源実朝の墓

現在、源実朝の墓と伝わる五輪塔は、寿福寺じゅふくじ(壽福寺)の裏山のやぐら(平地が少ない鎌倉特有の、横穴式の墓、または供養の場)の中に安置されています。これが、はじめに埋葬され、後に廃寺となった勝長寿院から移されたものなのか、勝長寿院が現存した当時からあったものなのかは、定かではありません。
寿福寺は、実朝の父・源頼朝の死の翌年に、母・北条政子頼朝の菩提を弔うために、源氏ゆかりの地である亀ヶ谷(扇ヶ谷)に開いた禅宗寺院です。源実朝の墓のすぐ側には、北条政子の墓と伝わる五輪塔も伝えられています。
寿福寺の開山(初代の住職)となった栄西は、南宋(現在の中国の一部)での修行から帰国する際、茶の苗を持ち帰り、日本に喫茶の習慣を広めたことでも知られています。寿福寺に伝わる「喫茶養生記」は、栄西が宋で学んだ茶の効用についてまとめた書で、国の重要文化財に指定されています。同様の書は、源実朝にも献上されています。

●住所
鎌倉市扇ガ谷1-17-7

●拝観料
無料(志納) ※参拝は参道から中門までと墓地は自由。境内は非公開。

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約10分

寿福寺・源実朝の墓(五輪塔)(撮影日:2021.03.24)
寿福寺・源実朝の墓(五輪塔)

周辺の見どころ
源氏山公園
仮粧坂(化粧坂切通し)
英勝寺
岩船地蔵堂

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宋から請来したお釈迦様の歯を祀る円覚寺・舎利殿

日本における臨済宗の開祖である寿福寺栄西は、源実朝に多くの影響を与えたと考えられています。
南宋へのあこがれもその一つと言えます。宋で修業した経験を持つ栄西が身近にいたことで、多くの情報を見聞する機会がありました。
現在、円覚寺えんがくじ舎利殿しゃりでん(通常非公開)には「佛牙舎利ぶつげしゃり」というお釈迦様の歯が祀られています。この佛牙舎利は、源実朝が夢に見たため宋の能仁寺から請来したものと言われていて、もともとは実朝が建立した大慈寺(廃寺)に安置されていたと伝えられています。
佛牙舎利が安置されている円覚寺舎利殿は、鎌倉尼五山第一位であった太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものと考えられていて、室町時代の建築物と推定されています。禅宗様建築を代表する建築とされ、建造物としては神奈川県で唯一の国宝に指定されています。

●住所
鎌倉市山ノ内409 ※円覚寺の情報(以下、同様)

●拝観料
大人 500円(高校生以上)
子ども 200円(小中学生)

●駐車場
なし ※団体バス専用駐車スペースのみあり(当日予約制)

●公共交通機関
北鎌倉駅から徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より徒歩約1分
鎌倉駅からバス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、江ノ電バス「大船駅」行き、「上大岡駅」行き、「本郷台駅」行きで『北鎌倉駅』下車徒歩約1分

円覚寺・舎利殿(撮影日:2023.11.04)
円覚寺・舎利殿

周辺の見どころ
東慶寺
浄智寺
明月院

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渡宋計画の夢が破れた由比ヶ浜を望む公園に建つ源実朝の歌碑

源実朝の宋へのあこがれはついに自身が渡宋するという計画へと発展して、大船の建造を南宋出身の工人・陳和卿ちん わけい / ちん なけいに依頼しました。陳和卿は、焼失した東大寺大仏殿の再建に尽力した人物として知られていて、栄西とも交流があった可能性があります。
この大船は1217年(建保5年)4月に完成して、由比ヶ浜で進水に臨みますが、船は海に浮かばず、実朝の渡宋計画ははかなく破れてしまいます。実朝が暗殺される、およそ2年前の出来事です。
現在、由比ヶ浜を望む鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)には、源実朝の歌碑が建っています。実朝は歌人としても優れた人物として知られていて、藤原定家に師事し、数多くの和歌の名歌を残しています。自身の歌集「金槐和歌集」を残してる他、92首が「勅撰和歌集」に入集しています。鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)の歌碑には、「小倉百人一首」第93番に選ばれた歌が刻まれています。
朝廷とも言葉でのコミュニケーションで良い関係を築こうとした実朝でしたが、北条義時が実権を握る鎌倉幕府のスタイルとは相いれず、結果的にそのことが自身の寿命を縮めることにもなってしまったのでしょう。

●住所
鎌倉市坂ノ下(鎌倉海浜公園坂ノ下地区の情報、以下同様)

●入園料
無料

●駐車場
徒歩5分ほどの、鎌倉海浜公園坂ノ下地区「プール前」にあり

●公共交通機関
由比ヶ浜海岸西端に隣接する「三角地」まで
江ノ電「長谷駅」より、徒歩約8分
鎌倉海浜公園水泳プール前にある「プール前」まで
江ノ電「長谷駅」より、徒歩約15分

鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)・源実朝歌碑(撮影日:2022.10.21)
鎌倉海浜公園坂ノ下地区(三角地)・源実朝歌碑
由比ヶ浜を成就院から望む(撮影日:2018.03.28)
由比ヶ浜

周辺の見どころ
鎌倉海浜公園由比ガ浜地区
和田塚
材木座海岸

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