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畠山重忠ゆかりの地 | 衣笠城合戦から一族滅亡までの鎌倉周辺での足跡

畠山重忠ゆかりの地 | 衣笠城合戦から一族滅亡までの鎌倉周辺での足跡 歴史上の人物

坂東武士の鑑」と称された武蔵国の武将・畠山重忠はたけやま しげただは、三浦半島にもゆかりがある人物です。畠山重忠源頼朝に仕えて鎌倉にも拠点を持つようになると、重忠に仕える人たちも多く鎌倉周辺に移り住むようになったと考えられます。

その場所の一つが、三浦半島の付け根に位置する現在の横浜市金沢区です。「金沢」の地名の由来には、畠山重忠の本拠地である武蔵国の秩父・金沢村から鍛冶職人を移り住まわせたことによるという説があります。金沢区の大部分はギリギリ当時の武蔵国(の最南端)であり、鎌倉とも隣接している場所であったため、重忠の関係者の移住先として最適であったと言えます。
そのため、現在でも金沢区釜利谷周辺には、畠山重忠重保しげやす親子にゆかりのある場所が残っています。

畠山重忠の母は、三浦一族の当主であった三浦大介義明の娘とされていて(諸説あり)、平安時代から鎌倉時代にかけて相模国の三浦半島を本拠地としていた三浦一族とは姻戚関係にありました。当時は、有力な豪族同士が姻戚関係を結ぶことはめずらしいことではありませんでしたが、この武蔵国相模国それぞれを代表する武士団の本家同士を結び付ける関係は、後にさまざまなドラマを生むことになります。

インフォメーション

・各施設の料金などは、2022年6月20日現在の情報になります。
・一部を除いて、各施設のマップや営業時間などは、リンク先の詳細ページでご覧いただけます。

畠山重忠ゆかりの地
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衣笠城合戦で陣を敷いたと伝わる三浦アルプス東端の 畠山

1180年(治承4年)の源頼朝による平家討伐の挙兵時、畠山重忠は父・重能平家方の家人として京にいたため、平家方として戦うことになります。
ともに、石橋山の戦いに駆けつけたものの合戦には間に合わなかった、平家方畠山重忠の軍勢と源氏方についた三浦義澄和田義盛率いる三浦一族の軍勢は、由比ヶ浜で鉢合わせます。
畠山氏三浦氏には姻戚関係がありましたので、一度は休戦で合意しましたが、事情を知らない和田義盛の弟・義茂畠山重忠の軍勢に攻め込んだため、合戦になります。
三浦一族は本拠地である三浦半島の衣笠城に逃げ込んだものの、圧倒的に兵力が多い畠山重忠の軍勢は衣笠城を包囲し、最後は、時の三浦一族の当主であった三浦大介義明を討ち取り、衣笠城は落城します。重忠にとっては、母方の祖父を討ち取ったことになります。
この衣笠城合戦の際に、畠山重忠の軍勢が陣を敷いたのが、三浦アルプスと呼ばれる三浦半島の付け根部分に横たわる丘陵地の東端に位置する山と伝えられています。この山は「畠山」と呼ばれていて、山名はもちろんこの伝承に由来するものです。
畠山重忠の軍勢は、三浦アルプスの南尾根を相模湾側から東に進軍したと考えられ、現在もこの道すじには登山道があり、横断することができます。

●住所
三浦郡葉山町木古庭

●料金
無料

●駐車場
なし

●公共交通機関
不動橋から畠山山頂まで
不動橋までは、
京急線「汐入駅」から京急バス「湘南国際村センター前」行き、
JR横須賀線「衣笠駅」から京急バス「逗子駅」行き、
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅」から京急バス「衣笠駅」行き、
のいずれかで『不動橋』下車
不動橋バス停からは徒歩で約50分
県立塚山公園から横須賀IC経由で畠山山頂まで
県立塚山公園までは、
京急線「安針塚駅」より徒歩約20分、または、京急線「逸見駅」より徒歩約25分
県立塚山公園からは徒歩で約40分
田浦梅の里、乳頭山(矢落山)経由で畠山山頂まで
田浦梅の里までは、
JR横須賀線「田浦駅」より徒歩約25分
京急線「安針塚駅」「京急田浦駅」より徒歩約25分
または京急線「京急田浦駅」より京急バス「安浦2丁目」行きで『田浦郵便局』下車徒歩約15分
田浦梅の里からは徒歩で約1時間40分

※山道の所要時間は個人差があり、また、アクセスする方向によっても違いがあるため、目安とお考えください。

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鶴岡八幡宮のすぐ隣りにあった 畠山重忠邸

当主の三浦大介義明を討たれた三浦一族でしたが、その命と引き換えに、主力の三浦義澄和田義盛らは舟で房総半島の安房国に逃げ延びて、源頼朝北条時政義時らと合流します。房総半島の有力な豪族であった上総広常らも味方につけて勢力を拡大していった源頼朝の軍勢は、東京湾を一周して鎌倉に入るころには、坂東を征服するのにはゆるぎない勢力になります。
その過程のなかで、当初は平家方に付いていた畠山重忠らも源頼朝に屈服して、忠誠をつくすことになります。三浦義澄和田義盛三浦一族と遺恨のあった畠山重忠でしたが、源頼朝が仲介して、これ以降は共に有力御家人として頼朝を支える重臣となっていきます。
畠山重忠は、鎌倉では鶴岡八幡宮のすぐ隣りという重要な場所に屋敷を与えられることになり、いかに頼朝の信頼が厚かったかということが分かります。鶴岡八幡宮の東鳥居のすぐ前には、畠山重忠邸があったことを示す石碑が建てられています。

●住所
鎌倉市雪ノ下3丁目(鶴岡八幡宮の東鳥居前)

●料金
無料

●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)

●公共交通機関
徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約15分
バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「大塔宮(鎌倉宮)」行き、「太刀洗」行き、「金沢八景」行きなどの岐れ道方面行きのバスで『大学前』下車、徒歩約3分

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源頼朝の命によって重忠が再建した 佐助稲荷神社

源頼朝の重臣となった畠山重忠は、平家討伐の戦いで武功を挙げます。とくに有名なエピソードとして、木曽義仲の愛妾で女武者の巴御前との一騎討ちや、馬を背負って坂を駆け下りたという鵯越の逆落としがあります。
平家討伐に成功した源頼朝は、畠山重忠に命じて、頼朝の夢枕に現われて挙兵を促したという神様「かくれ里の稲荷」を探し出させて、稲荷神社を再建しました。
この稲荷神社は、征夷大将軍まで昇りつめた源頼朝にあやかって「出世稲荷」と呼ばれることもある開運のパワースポット佐助稲荷神社のことです。

●住所
鎌倉市佐助2-22-12

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約25分

佐助稲荷神社・参道沿いに並ぶ無数の朱色の鳥居(撮影日:2022.01.27)
佐助稲荷神社

周辺の見どころ
銭洗弁財天宇賀福神社
源氏山公園

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由比ヶ浜で最期を迎えた重忠の子・畠山重保の供養塔

源頼朝の時代はそう長くは続かず、1199年(建久10年)、死没してしまいます。すると、頼朝に重用されていた畠山重忠の鎌倉幕府内での立場にも変化がでてきます。
北条政子源頼朝の妻であったとは言え、畠山氏と同じ御家人の立場にあった北条氏の台頭です。もともと地方の小豪族の北条氏は、武力や財力に大きな基盤をもっているわけではなかったため、巧みに政争をしかけては、有力御家人を排除していきました。
1205年(元久2年)、この前年に起きた畠山重忠の子・畠山重保北条時政の娘婿・平賀朝雅のいざこざをトリガーに、北条時政が動きます。
幕府の初代執権となっていた北条時政は、畠山重忠重保親子に謀反の疑いをかけて、三浦義村由比ヶ浜畠山重保を殺害させます。本拠地の武蔵国にいた畠山重忠も鎌倉の異変の報を受けて駆けつけようとしますが、その途中、二俣川(現在の横浜市旭区)で北条義時らの軍勢と相対すことになり、敗死します。
北条時政畠山重忠重保親子の排除には成功しますが、わずかな兵しか動かしていなかった畠山重忠らに謀反の疑いなどあるはずもなく、無実の畠山重忠らの排除にもともと不信感を抱いていた北条義時政子によって時政は鎌倉を追放されることになります。
北条時政の命を受けて畠山重保を殺害し、重忠を追い込んだ三浦義村にとっては、結果的に、衣笠城合戦で討たれた祖父・三浦大介義明の敵討ちになりました。
若宮大路の一の鳥居近くにあった畠山重保の館跡には、この近くで殺害された重保の供養塔が建っています。

●住所
鎌倉市由比ガ浜2丁目(若宮大路・一の鳥居近く)

●料金
無料

●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)

●公共交通機関
江ノ電「和田塚駅」より、徒歩約5分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約10分

畠山重保邸址(撮影日:2021.12.21)
畠山重保邸跡・重保供養塔

周辺の見どころ
和田塚(和田義盛の墓)
由比若宮(元八幡)
由比ヶ浜海岸

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畠山氏ゆかりの釜利谷に残る 畠山重保の墓

横浜の金沢区には、畠山重保釜利谷の地まで逃げ延びてきて、この地で自害したという伝承が残っています。釜利谷には畠山重保の墓と伝わる五輪塔が建っています。
周辺には、畠山重保の幼名である「六郎」に由来すると考えられる、「六郎橋」や「六郎ヶ谷」といった地名も残っていて、このあたりが畠山氏ゆかりの地であることが分かります。

●住所
横浜市金沢区釜利谷南1-5

●料金
無料

●駐車場
なし(近隣にコインパーキングあり)

●公共交通機関
バス利用の場合
京急線「金沢文庫駅(西口)」より京急バス
「高舟台循環[文20]」行きで、『白山道公園』下車徒歩約2分
「八景台住宅」行き、「高舟台循環[文10]」行きで、『白山道』下車徒歩約5分
「関東学院金沢文庫キャンパス」行きで、『パークタウン入口』下車徒歩約7分
徒歩の場合
京急線「金沢文庫駅」より、徒歩約25分

畠山重保墓・全景(撮影日:2022.04.25)
畠山重保墓

周辺の見どころ
金沢八景権現山公園(旧円通寺客殿)

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畠山重忠の念持仏と供養塔が伝わる 東光禅寺

釜利谷畠山重保の墓のすぐ近くにある東光禅寺は、畠山重忠が建立した寺院です。東光禅寺の本尊・薬師如来像は畠山重忠の念持仏と伝えられています。
東光禅寺は、応仁年間(1467〜69年)に現在の釜利谷の地に移るまでは、現在の鎌倉宮(大塔宮)がある鎌倉の二階堂にあり、東光寺と称していました。
東光寺では、鎌倉幕府滅亡直後の1335年(建武2年)、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)が殺害されるという事件が起きました。
くしくも、鎌倉幕府倒幕に貢献したものの足利尊氏との権力争いに敗れた護良親王も、平家討伐に貢献したものの執権北条氏との権力争いに敗れた畠山重忠も、無実の罪を着せられて最期を迎えた、中世を代表する悲劇のヒーローとして知られています。
現在、東光寺跡鎌倉宮(大塔宮)には護良親王が幽閉されていた土牢(復元)があり、近くには護良親王の墓が残されています。東光禅寺の境内には、畠山重忠の供養塔が建っています。

●住所
横浜市金沢区釜利谷南2-40-8

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
あり

●公共交通機関
バス利用の場合
京急線「金沢文庫駅(西口)」より京急バス「八景台住宅」行き、「高舟台循環[文10]」行きで、『白山道』下車徒歩約5分
または「高舟台循環[文20]」行きで、『白山道公園』下車徒歩約5分
徒歩の場合
京急線「金沢文庫駅」より、徒歩約25分

東光禅寺・本堂(撮影日:2022.04.25)
東光禅寺

周辺の見どころ
上総介塔(上総広常の墓)

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畠山重忠の守り本尊と伝わる勢至菩薩を安置する 長谷寺

今では観音様と並んであじさいの散策路でも有名な長谷寺には、畠山重忠の守り本尊と伝わる仏像が安置されています。この勢至菩薩坐像はこれまで通常は非公開でしたが、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映と長谷寺本尊造立1300年にあわせて、公開されるようになりました。
他にも、長谷寺には、源頼朝の厄災消除を祈願して造立されたと伝わる阿弥陀如来坐像も安置されています。

●住所
鎌倉市長谷3-11-2

●拝観料
大人400円
小学生200円
※「観音ミュージアム」の入館は別料金。
※あじさいの季節にあじさい路に入る場合は別途「あじさい鑑賞券」の購入が必要。

●駐車場
あり

●公共交通機関
徒歩の場合
江ノ電「長谷駅」より徒歩約5分
バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、江ノ電バス「藤沢駅南口(富士見ヶ丘経由)」、「七里ヶ浜」行きなど、京急バス「鎌倉山」行き、「大船駅東口(ルミネ下)」行きなどの、いずれも「大仏方面」行きで、『長谷観音』下車徒歩約3分

以下のリンク先から、その他の同じ時代を生きた人物ゆかりの地もご覧ください

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地
鎌倉幕府第2代執権・北条義時ゆかりの地
和田義盛ゆかりの地
三浦義村ゆかりの地 | 鎌倉の屋敷跡と一族の故郷三浦・横須賀での足跡
上総広常ゆかりの地 | 鎌倉で悲劇の最期を遂げた上総介殿の聖地巡礼
北条政子ゆかりの地
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