田浦梅の里は、かつては「田浦梅林」と呼ばれていて、1934年(昭和9年)に当時の皇太子さま(明仁上皇)の生誕を祝して、地元の有志が梅の木を植えたのがはじまりです。
梅林は隣接する田浦緑地にも拡がり、現在では約2,700本以上の梅の木が植栽されている、三浦半島、横須賀を代表する梅の名所です。
また、根元には約75,000株の水仙も植えられているため、毎年1月から3月まで開花リレーをたのしむことができます。
2000年からは、田浦梅林と田浦緑地をあわせて、「田浦梅の里」と総称されるようになりました。
園内の梅の実を原料とした梅酒が地元の名産品になっていて、地域の酒屋さんなどで購入することができます。
INDEX
三浦半島随一の梅の名所である梅林エリア
約2,700本以上にまで増えた梅の木
「田浦梅の里」として整備される前は、ここは「田浦梅林」と呼ばれていました。地元の有志の方たちが植えた700本の梅の木がはじまりです。現在では山全体に植栽されていて、約2,700本以上にまで増えています。
三浦半島随一の梅の名所として知られていて、「かながわ花の名所100選」にも選ばれています。
京急線の車窓からも見える枝垂れ梅
京急線の安針塚駅と京急田浦駅の間の車窓からも見える、田浦梅の里の入口に立つ枝垂れ梅は、京急線を利用する人であれば目にしたことがあると思います。田浦梅の里のシンボルツリーといっても良いかもしれません。
ほとんどの季節は、その立派な枝ぶりを見られるだけですが、初春のほんの一時期、華やかで美しい姿を見せてくれます。京急線の車窓から見られるのはホンの一瞬ですが、ぜひ近くでゆっくりと、風に揺られる枝垂れ梅の優雅な姿を見てみてください。
なお、この入口からよりも、ここより少しだけ山側にある入口からのほうが、梅林や芝生広場方面へ向かう登り坂は若干ゆるやかです。
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かつては大六天神社の杜
歴史をさかのぼると、この梅林のあるあたりには、大六天神を祀った石の祠があったと言われています。しかし、いつしか信仰も薄れていき、森に埋もれてしまいました。
現在の大六天神社は、昭和初期に再興されたものです。その後、1980年(昭和55年)に老朽化のため建て替えられたものが、現在の祠です。
芝生広場やアスレチックがある緑地エリア
梅林のエリアを奥に進むと、かつての田浦緑地のエリアになります。ここには、広い芝生広場やアスレチック広場、展望塔などがあります。高台にあるため、東京湾方面の眺望が開けています。
田浦緑地は、地元に住む大学教授であり詩人の石川宏氏が、1976年(昭和51年)に横須賀市へ寄付した約36万平方の山林を整備して造られました。その石川宏氏の想いが込められた詩碑が、東京湾を望む芝生広場の一角に建っています。
アスレチック広場
アスレチック広場には、斜面の傾斜をいかした遊具がいくつも並んでいます。
横浜横須賀道路を横須賀ICから逗子ICに向かって走っていると右手に見える「田浦梅の里」という看板があるのは、このアスレチック広場のあたりになります。
展望塔
展望塔に登ると360度、眺望が開けています。とくに東京湾側の眺めが素晴らしく、正面に海上自衛隊の基地がある長浦港、左手には横浜八景島シーパラダイス方面、右手には横須賀本港方面が遠望できます。
反対側は、眼下に横浜横須賀道路が走っていて、その奥には三浦アルプス(二子山山系)の山々が連なっているのが見えます。
田浦梅の里は、三浦アルプス(二子山山系)に東京湾側(横須賀側)から入る主要な登山口の一つになっています。展望塔の裏からさらに奥へと進むと現われる、横浜横須賀道路に架かる歩道橋を渡ると、本格的な山道になっていきます。
子どもたちのためのキャンプ場 田浦青少年自然の家
緑地エリアの奥には、児童、生徒、青少年を含むグループ(高校生以下のグル-プは成人の付き添いが必要)が利用できるキャンプ場、田浦青少年自然の家があります。デイキャンプでも宿泊でも利用できます。横須賀市が運営している施設のため、料金もリーズナブルです。
最近は、オートキャンプ場やグランピングなどの、気軽さや快適さを重視したキャンプ場が人気ですが、ここはその真逆と言えます。食材の用意や自動販売機などはなく、駐車場もないため、自分の力で運んで来る必要があります。その代わり、田浦青少年自然の家の利用者であれば、テントや調理器具、薪などは無料で利用することができます。
田浦青少年自然の家は、自然のなかで育まれる、子どもたちの心身の健全な育成を目的としています。このような体験のほうが、きっと思い出に残ると思いますし、お金では買うことができない豊かな経験になるのだと思います。