畠山は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将・畠山重忠が、三浦一族の本拠地である衣笠城を攻める際に陣を敷いた場所、あるいは、重忠の子・重保の居城跡などと伝わる場所です。
畠山の標高は205mしかないものの、山頂からは横須賀港方面の眺望が開けています。横須賀軍港を後方から守るのには最適な場所であるため、第二次世界大戦時には航空機を迎撃するための高角砲台が建設されました。
畠山は、三浦半島の北部で東西に連なる三浦アルプス(二子山山系)の、もっとも東側(東京湾側)にあるピークです。現在でも葉山方面から尾根道を歩いて来ることができますが、古東海道(律令時代の畿内から常陸国に至る官道で、相模国と上総国の間は、鎌倉、逗子、葉山から三浦半島を東西に横断して、走水付近より海路で房総半島に渡るというルートだったと考えられています)のルートの一部であった可能性もあります。
畠山重忠が衣笠城を攻める際も、この尾根道沿いを進軍してきたと考えられます。
INDEX
衣笠城合戦での畠山重忠の伝承
1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆で平家討伐の兵を挙げると、畠山重忠は、父・重能が平家方の家人として京にいたこともあり、平家方として戦うことになります。
三浦一族は頼朝らと合流するために、所領である三浦半島から相模湾沿いに西へ向かいましたが、途中の川が増水していたため間に合わず、引き返すことになります。ここで、頼朝を討つために平家方として挙兵していた畠山重忠らは三浦一族と鉢合わせになり、一度は休戦で合意したものの、鎌倉の由比ヶ浜や逗子の小坪で合戦になります。
三浦一族はなんとか本拠地である衣笠城までたどり着きましたが、兵力の違いにものを言わせ、畠山重忠らは衣笠城を包囲します。
このとき、衣笠城を監視するために畠山重忠の軍勢が陣を敷いたのが畠山で、逃げる三浦一族を追うように進軍したのが三浦アルプス(二子山山系)だと言うわけです。
このようなことを示す確かな史料があるわけではありませんが、「畠山」という山名が伝わっていて、由比ヶ浜や小坪で戦い、最終決着の場が衣笠城であったという史実を考えると、歴史的なタイムラインと地理的なプロットはかみ合い、ありえない話ではなさそうです。それを示すように、畠山周辺の葉山の山間部には、畠山重忠にまつわる伝承が数多く残っています。
畠山重忠らは、衣笠城合戦で、時の三浦一族の当主・三浦大介義明を討ち取ることになります。畠山重忠の母は義明の娘であったため(諸説あり)、重忠にとって祖父を討ったことになります。
この後、三浦大介義明が文字通り命をかけて逃がした義明の子・三浦義澄や孫に当たる和田義盛らは、房総半島で源頼朝らと合流し、再起をはかります。有力豪族を次々に従えて、坂東(関東)では頼朝が優勢になると見るや、すぐに畠山重忠らは源氏方に寝返り、以後、重忠は頼朝の重臣として、三浦一族らとともに平家討伐や鎌倉幕府の創設に力を注ぐことになります。
三浦義澄や和田義盛ら三浦一族にとって畠山重忠らとの間に遺恨がなかったはずはありませんが、源頼朝がそれをなだめる様子が、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に記されています。
生き抜くためにはドライにならなければならない、目まぐるしく情勢が変化するこの時代を象徴するエピソードの一つです。
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畠山山頂からの眺望
現在の畠山山頂からは、衣笠方面の眺望はなく、横須賀港方面の東京湾の眺望が開けています。
三浦アルプス(二子山山系)にはいくつか名前の付いているピークがありますが、標高が高くないうえに内陸にあるため、景色が良い場所は限られています。また、休憩できるような広場も多くありません。
そのような中でも、畠山の山頂は、限られた方向だけとは言え眺望があり、狭いながらも広場になっているため、恵まれている場所と言えます。(トイレや水場は、山頂や周辺にありません)
畠山山頂へのルート
FK | 二子山山系自然保護協議会設置標識 |
D | 大和ハウス設置標識 |
葉 | 葉山町消防設置標識 |
不動橋から直登
畠山山頂までの直登コースの登山口は、県道27号横須賀葉山線沿いにある、不動橋付近にあります。
このルートは、砲台を建設するときに軍道として開かれた道と伝わっています。
起終点 | ルート【標識名】 | 所要時間の目安 |
---|---|---|
不動橋 | 不動橋バス停→登山道入口【D1】→【D2】→【D3】→畠山山頂【D4】 | 約50分 |
県立塚山公園から横須賀IC経由
途中で横浜横須賀道路を潜り抜けたりするため、あまり直登ルートという感じではありませんが、県立塚山公園から向かうこともできます。
横浜横須賀道路の横須賀ICに接続する道路からこのルートに入ることもできますが、横須賀IC近くまでアクセスする公共交通機関はありません。そういった意味では県立塚山公園も同じ条件ですが、県立塚山公園は公衆トイレがあったり、横須賀を代表する桜の名所であるため、経由地にする価値があります。
起終点 | ルート【標識名】 | 所要時間の目安 |
---|---|---|
県立塚山公園 | 県立塚山公園→横浜横須賀道路・横須賀IC付近→【D5】→畠山山頂【D4】 | 約40分 |
田浦梅の里や三浦アルプス(二子山山系)西側から乳頭山経由
畠山山頂を目指す場合も、大抵は、三浦アルプス(二子山山系)とセットで楽しもうと思うことでしょう。
畠山は三浦アルプスのもっとも東側に位置するピークの一つであり、三浦アルプスの西側からアクセスする場合は乳頭山(矢落山)を経由することになります。
また、三浦アルプスの東側の主要な登り口の一つになっている田浦梅の里から、三浦アルプスを横断せずに、畠山へ行くこともできます。この場合も、乳頭山を経由して畠山に向かうことになります。
起終点 | ルート【標識名】 | 所要時間の目安 |
---|---|---|
田浦梅の里 | 田浦梅の里→【FK2】→【FK1】→乳頭山(矢落山)山頂→【D8】→【D7】→【D6】→【D5】→畠山山頂【D4】 | 約1時間30分 |
森戸川林道などの三浦アルプス中尾根方面 | 森戸川林道(大山林道)終点【葉41】~中尾根~【FK1】→乳頭山(矢落山)山頂→三国峠【D8】→【D7】→【D6】→【D5】→畠山山頂【D4】 | 約1時間40分 |
仙元山・観音塚などの三浦アルプス南尾根方面 | 観音塚【D19/葉16】~南尾根~三国峠【D8】→【D7】→【D6】→【D5】→畠山山頂【D4】 | 約2時間40分 |