鎌倉

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和田塚(和田義盛の墓)

和田塚は、和田義盛と一族の墓と伝わる墳墓です。鎌倉時代前期の、1213年(建暦3年)に鎌倉の市街地で起きた和田合戦(和田義盛の乱)で執権北条氏の軍勢と戦い敗死した、和田義盛とその一族の屍を埋葬した塚...
2022.08.29
鎌倉

和賀江嶋(和賀江島)

和賀江嶋は鎌倉時代の1232年(貞永元年)に築かれた日本に現存する最古の築港の遺跡で、国の史跡に指定されています。材木座海岸の南端(小坪寄り)の相模湾上に築かれた人工の港で、現在でも干潮時には無数の...
2022.08.29
鎌倉

百八やぐら

百八やぐらは、鎌倉・二階堂の谷戸に建つ覚園寺の裏山一帯に広がるやぐら群です。やぐらは、天園ハイキングコース(鎌倉アルプス)の覚園寺入口と今泉台6丁目入口の分岐(交差点)付近から、覚園寺の山号になって...
鎌倉

鎌倉大仏殿高徳院

鎌倉のシンボルの一つである鎌倉大仏(鎌倉大佛、長谷大仏)。券売所を過ぎるとすぐ目に飛び込んでくる露坐の大きなその姿は、他のどのお寺のご本尊よりもシンプルに、真っ先にお参りすることになります。 ...
2022.06.25
鎌倉

岩船地蔵堂

岩船地蔵堂いわふねじぞうどうには、源頼朝と北条政子の最初の子である大姫おおひめの守り本尊と伝わる地蔵尊が祀られています。諸説ありますが、源頼朝と北条政子の次女・乙姫(三幡)がこの近くに葬られ、墳墓堂...
2022.06.15
鎌倉

長窪の切通し(高野の切通)

長窪ながくぼの切通し(高野の切通)は、大船の高野台と呼ばれるエリアにある、六国見山のふもとに位置する住宅地の中に残る切通しです。 長窪の切通しは、現在の天園ハイキングコースから続く尾根道の、最...
鎌倉

大船の切通し

大船の切通しは、大船の多聞院や熊野神社の裏から大船高校の裏に通じている切通しです。大船高校側からは、六国見山への登山口も近いです。 大船の切通しがいつ頃整備されたのかは分かりませんが、中世の鎌...
鎌倉

常楽寺・北条泰時の墓

常楽寺じょうらくじは、1237年(嘉禎3年)に、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時ほうじょう やすときが、妻の母の供養のために建立した粟船御堂あわふねみどうがはじまりです。泰時の死後、泰時の法名・常楽...
2022.06.08
鎌倉

六国見山森林公園

六国見山の名称は、山頂から、相模・武蔵・伊豆・上総・下総・安房の六国を望めたことに由来します。六国見山森林公園として整備された公園の展望台からは現在も眺望が良く、鎌倉市街、富士山や箱根の山々、横浜の...
2022.06.08
鎌倉

護良親王墓&理智光寺跡

元弘の乱で鎌倉幕府を倒幕して、武家政権から天皇中心の社会へと導く立役者となった、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)は、無実の罪を着せられて、鎌倉の東光寺(現在の鎌倉宮が...
2022.05.13
鎌倉

木曽義高首塚・姫宮塚

木曽義高きそ よしたか(源義高)は、平安時代後期に活躍した武将・木曽義仲きそ よしなか(源義仲)の嫡男です。別名「清水冠者しみず かじゃ/かんじゃ」とも呼ばれています。「冠者(かじゃ/かんじゃ)」と...
2022.04.29
横浜

朝夷奈切通(朝比奈切通し)

朝夷奈切通あさいなきりどおしは、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。現在の地名であ...
2022.04.15
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