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上杉憲方の墓 | 極楽寺坂切通近くにある山内上杉家5代当主の墓所

上杉憲方の墓(撮影日:2024.04.02) 鎌倉
上杉憲方の墓(撮影日:2024.04.02)
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上杉憲方うえすぎ のりかたは、南北朝時代から室町時代初期にかけて活躍した武将で、山内上杉家の第5代当主です。
山内上杉家は、憲方の父・上杉憲顕がその座に就いて以来、鎌倉公方を補佐する関東管領をほぼ世襲していく家で、鎌倉の山ノ内(北鎌倉駅周辺)に居館があったため「山内上杉家」と呼ばれています。
上杉憲方は、父・憲顕と同様、鎌倉公方足利氏満関東管領として仕えていました。

上杉憲方の墓は、鎌倉市街(長谷・坂ノ下方面)から極楽寺坂切通(極楽寺切通し)を登り切った先の左手にあります(最寄り駅は、江ノ電の極楽寺駅)。通りから奥まった場所にあるため、少し分かりにくいですが、「上杉憲方墓」と刻まれた石塔が建っていますので、それを目印に路地を入って行った突き当りにあります。
山すそに、いくつかの五輪塔とともに2つの多層塔が建っていて、このうち、もっとも背の高い七層塔上杉憲方の墓とされています。その隣りに建つ五層塔憲方の妻の墓と伝えれています。

極楽寺のあたりと山ノ内は、当時の鎌倉の端と端で、かなり離れています。そのような場所に関わりがあったということからも、山内上杉家の鎌倉での存在感の大きさをうかがい知ることができます。

なお、上杉憲方の墓と伝わる場所は、鎌倉にもう1ヵ所あります。上杉憲方自身が開基となって創建した、山ノ内にある明月院やぐらです。
この明月院やぐらは、鎌倉最大のやぐらとされていて、明月院の寺伝によると、はじめは、平安時代後期の平治の乱で戦死した山内首藤俊通を偲んで、子の経俊俊通の墓所としたものと伝えられています。

上杉憲方の墓・極楽寺坂の坂上に置かれた標識石(撮影日:2021.01.29)
上杉憲方の墓・極楽寺坂の坂上に置かれた標識石(撮影日:2021.01.29)
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上杉憲方の墓周辺の見どころ

DATA

住所 鎌倉市極楽寺1丁目
アクセス
行き方

江ノ電「極楽寺駅」より徒歩約2分

駐車場 なし
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