鏑木清方記念美術館は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家・鏑木清方の業績を後世に広く伝えることを目的とした美術館です。企画テーマに沿った展覧会を、年に8回開催しています。
戦後、鎌倉に移り住んだ清方は、晩年の26年間を鎌倉の材木座と雪ノ下で暮らしました。
鏑木清方記念美術館は、清方の没後、旧居跡に開館しました。館内に復元された画室や門の格子戸は、雪ノ下の旧居の部材がそのまま使用されています。
鏑木清方記念美術館では、展示スペースの都合や作品の劣化を防ぐため、常設展示がありません。企画展・特別展のテーマに沿って、作品は数か月ごとに入れ替わります。お目当ての作品がある場合は、公式サイトで展示内容を確認してから足を運ぶと良いでしょう。
INDEX
物語絵や美人画を得意とした近代日本画の巨匠
東京・神田で生まれ育った鏑木清方は、13歳のときに日本画家の水野年方に弟子入りし、16歳で挿絵画家としてデビューしました。20代前半で尾崎紅葉やその弟子の泉鏡花といった人気作家と出会い、彼らの作品の挿絵を描くようになると、清方自身も人気画家として注目を浴びるようになっていきました。
この若き日の尾崎紅葉や泉鏡花と出会いは、鏑木清方の文学的教養を高め、物語絵は清方の代名詞の一つになりました。
鏑木清方の画風の多くは、師匠が得意とする浮世絵の影響を受けた画面構成の中に、失われつつあった江戸時代や明治の東京下町の風俗とともに描かれた美人画ですが、挿絵以外の独立した作品の中にも深い物語性を感じることができます。
憧れの金沢八景での生活と貴重な絵日記
幼少期より初代・歌川広重が描いた金沢八景に憧れを抱いていた鏑木清方は、戦前、鎌倉で暮らすようになる以前、金沢文庫駅近くの君ヶ崎(現在の横浜市金沢区谷津町)に別荘を構えていました。清方は、大正時代の後半、毎年夏が来ると、この「遊心庵」と名付けられた別荘を訪れて、家族と過ごしました。
鏑木清方は、「夏の生活」「君ヶ嵜漫筆」「游心庵漫筆」「金沢絵日記」といった、金沢八景での出来事を題材にした絵日記も残しています。能見堂跡やかつてそこにあった筆捨松のことや、大規模な開発でほとんど消滅した乙舳海岸など、大正期の、まだ景勝地としての「金沢八景」が描かれた、貴重な作品群でもあります。
鏑木清方記念美術館周辺の見どころ
現在、鏑木清方記念美術館になっている鎌倉・雪ノ下の旧居は、鶴岡八幡宮から徒歩約3分ほど、小町通りから徒歩約1分ほどという鎌倉の中心部にありながら、喧騒とは無縁と言える路地裏に建っていました。それは今も変わりませんが、静寂を求めつつも、すぐ隣りには賑やかな人々の生活があるという、絶妙な場所にありました。