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光照寺(沼間)| 源義朝の長男で「鎌倉悪源太」と呼ばれた源義平の菩提寺

光照寺(沼間)・晩秋のイチョウ(撮影日:2021.11.19) 逗子
光照寺(沼間)・晩秋のイチョウ(撮影日:2021.11.19)
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光照寺こうしょうじは、逗子・沼間にある高野山真言宗の寺院です。創建年など、寺の由緒は不詳ですが、平安時代後期に活躍した武将・源義平みなもとのよしひらの供養のために建てられたと伝えられています。
明治のはじめまでは、この近くの五霊神社の別当寺(神社を管理する寺院)をつとめていました。五霊神社は、源義平の父・源義朝みなもとのよしともの館の鎮守として創建されたと伝わる古社です。

本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期の作とされていて、神奈川県の重要文化財に指定されています。衣文などに写実性の高さがみられることから、運慶快慶の流れをくむ慶派の仏師によるものである可能性が考えられています。

山号開宮山
宗派高野山真言宗
寺格
本尊阿弥陀如来立像
創建不詳
※源義平供養の伝承によれば平安時代末期以降
開山不詳
開基不詳

光照寺には、湘南七福神の一つで、不老長寿のご利益があるとされる「福寿延命寿老人」が祀られています。毎年元旦から1月10日までの湘南七福神めぐりで御開帳されます。

光照寺(沼間)・七福神のレリーフ(撮影日:2024.03.20)
光照寺(沼間)・七福神のレリーフ(撮影日:2024.03.20)
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「鎌倉悪源太」と呼ばれた源義平

光照寺がある沼間は、河内源氏第6代棟梁の源義朝の館・沼浜城ぬはまじょう沼浜亭跡)があった場所とされています。光照寺のまわりにも、矢の根橋馬場橋ぶどうやしき堀の内など、武家の館に由来するような名前、地名、家号(屋号)が残っています。
館自体は、光照寺の裏(右手奥)にあたる「堀の内」(現在の桐ヶ谷歴史庭園)にあったとみられています。

源義朝の長男・源義平の生誕地についてはよく分かっていませんが、義平の母が当時三浦半島一帯を治めていた三浦一族の当主・三浦義明の娘とする説もあることから、沼間で産まれたという可能性も考えられます。
やがて、源義朝は館を沼浜沼間)から、河内源氏第2代棟梁の源頼義以来、源氏ゆかりの鎌倉・亀ヶ谷(現在の寿福寺のあたり)に移します。

源義平は、15歳のときに参戦した大蔵合戦で、父・義朝と対立していた叔父の源義賢らを討ち、源氏内の権力争いに勝つという武功を挙げます。これ以降、義平は「鎌倉悪源太」と呼ばれるようになったと言われています(ここで言う「悪」とは、「悪い」という意味ではなく、「強い」という意味です)。
このころにはすでに義朝義平父子の拠点は鎌倉に移っていた可能性が高そうですが、当時は沼浜沼間)も「鎌倉郡」の一部でしたので、亀ヶ谷に移る前だった可能性もあります。

源義平沼間で過ごしたことを示す確かな史料は見当たりませんが、「源義平の供養のために建てられた」という光照寺の伝承を考えれば、なんらかのゆかりはあったのでしょう。

源義平は、父・義朝や東国武士の三浦義澄上総広常らと参戦した平治の乱平氏一門の勢力に敗れ、最終的に京都・六条河原で処刑されてしまいます。
源義朝も東国へ落ち延びる途中で家人の裏切りにあい殺害されてしまいますが、およそ20年後、このとき助命された義朝の子で義平の弟である源頼朝によって平氏一門は滅ぼされ、仇が討たれることになります。

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光照寺(沼間)境内の見どころ

六地蔵

光照寺(沼間)・六地蔵(撮影日:2021.11.19)
光照寺(沼間)・六地蔵(撮影日:2021.11.19)

本堂

光照寺(沼間)・本堂(撮影日:2021.11.19)
光照寺(沼間)・本堂(撮影日:2021.11.19)

癌封じ 浩月観音

光照寺(沼間)・癌封じ浩月観音(撮影日:2024.03.20)
光照寺(沼間)・癌封じ浩月観音(撮影日:2024.03.20)

子育・水子 地蔵菩薩

光照寺(沼間)・子育水子地蔵菩薩(撮影日:2024.03.20)
光照寺(沼間)・子育水子地蔵菩薩(撮影日:2024.03.20)
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光照寺(沼間)周辺の見どころ

桐ヶ谷歴史庭園(沼浜城跡)
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DATA

住所 逗子市沼間2-20-17
アクセス
行き方

●徒歩の場合
JR横須賀線「東逗子駅」より徒歩約8分

●バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅(北口)」より京急バス「グリーンヒル」行き、「田浦駅」行きで、『火の見下』下車、徒歩約3分

駐車場 あり
料金

無料(志納)

電話番号 046-871-3254
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