長井熊野神社は、横須賀西部に位置する、長井全町の総鎮守です。かつては、明治時代の一村一社の政策によって旧長井村(現在の横須賀市長井)内の9柱の神様を合祀していましたが、戦後はもとの場所に遷御されています。
長井熊野神社創建の由緒は、鎌倉時代初期の1192年(建久3年)、源義経の家臣・鈴木三郎重家の子・三郎家長が長井村の荒井に移り住み、故郷から熊野大権現を勧請してこの地に祀ったのがはじまりと伝えられています。
鈴木重家は熊野水軍の将の一人として壇ノ浦の戦いなど平家討伐に大きな貢献をしましたが、最期は奥州・平泉で、源頼朝と対立した義経とともに命運を共にしました。
主祭神 | 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 天照大神 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 1192年(建久3年) |
祭礼 | 7月15日に近い土曜日・日曜日 夏季例大祭【神幸祭】【飴屋踊り】 11月15日 秋季例祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
長井熊野神社は、通称「宮の前浜」と呼ばれる小さな浜辺と岩礁からなる海岸に面した高台の上に鎮座しています。境内は江の島や気象条件が良ければ富士山まで一望できる眺望スポットでもあります。
長井熊野神社創建時、遠い海のかなたの熊野大社と向かい合うように、西向きの場所に建てられたという言い伝えも残されています。
INDEX
古くから漁業のまちとして栄えた長井の象徴
夏季例大祭で奉納される「長井町飴屋踊」(横須賀市指定重要無形民俗文化財)は、江戸時代末期ごろ房総半島から漁師によって伝えられたという民俗芸能で、手に傘を持ったあねさんかぶりの少女たちが、お年寄りのはやしに合わせて踊ります。
権現造の社殿は、その彫刻も含めて見事なもので、長井の村人の崇敬の深さと資金力をうかがい知ることができます。
また、境内には、ともに江戸の有力な魚河岸や問屋街だった、日本橋の魚問屋や四日市の干物問屋などから寄進された石垣や狛犬といった奉納品も多く見られます。
このように、長井熊野神社は、古くから長井が、漁業の重要な拠点として、人も物も、文化もお金も集まる豊かなまちだったことを物語る、長井の象徴のような場所でもあります。