衣張山は、鎌倉の浄明寺エリアと、鎌倉逗子ハイランドの住宅地に隣接する浄明寺緑地の間に位置する山です。南北にハイキングコース(登山道。鎌倉市が設置している正規のハイキングコースではありません)が整備されていて、北峰(標高121m)と南峰(標高120m)の二つのピークがあります。浄明寺エリア寄りの、わずかに標高が高い北峰が、衣張山の山頂です。北峰と南峰、それぞれ、鎌倉市街や逗子方面への眺望が開けています。
衣張山(絹張山)の名前の由来は、源頼朝が夏の日にこの山に絹を張って雪が降っているように見立てて涼をとったからとする説や、この地にあった尼寺の尼僧が松の木の枝に衣を掛け晒したからとする説などが伝わっています。
衣張山の浄明寺エリア側のハイキングコース入口付近を、犬懸ヶ谷と言います。現在も滑川に犬懸橋という名前の橋が架かっています。江戸時代前期に編さんされた地誌「新編鎌倉志」によると、犬懸ヶ谷は衣掛ヶ谷とも呼ばれていたそうです。平家物語には、源頼朝が平家討伐の挙兵をした際、これに呼応した三浦一族の和田義茂(三浦小次郎義茂、杉本城主・杉本義宗の子、和田義盛の弟)が犬懸坂を越えて逗子方面へ向かう描写が出てきます。
犬懸(いぬかけ)という地名がなまって、この地ならでは逸話も混ざり合いながら、衣掛/絹掛(きぬかけ)、絹張/衣張(きぬばり)と変化していった可能性も考えられます。
INDEX
「平成巡礼道」とも呼ばれる衣張山ハイキングコース
衣張山ハイキングコースは「平成巡礼道」とも呼ばれ、東側に並行して南北に走る「巡礼古道」とは浄明寺緑地で合流します。「平成巡礼道」と「巡礼古道」を周回するルートも取れますし、浄明寺緑地を経由して名越切通方面に抜けることもできます。
鎌倉の浄明寺エリアから衣張山山頂に向かうルートは少々荒れていますので、「平成巡礼道」の完歩や周回にこだわらなければ、浄明寺緑地から山頂に向かうほうが登りやすいです。
衣張山の周辺に「平成巡礼道」や「巡礼古道」と言った「巡礼」と名前の付いた道が走っているのは、坂東三十三観音・第一番札所の杉本寺(杉本観音)から第二番札所の岩殿寺(岩殿観音)に続くルートがあったことに由来します。かつての古道は鎌倉逗子ハイランドの開発などによって途切れていますが、巡礼道沿いに点在する石仏や石塔などが、往時を偲ばせています。
一方、衣張山ハイキングコースの西側に並行して南北に走る釈迦堂切通の洞門(トンネル)をくぐるルートは、2024年4月現在、通行止めになっています。
衣張山山頂の北峰
杉本寺などがある浄明寺エリアから衣張山に登った場合、最初に現われるピークが衣張山の山頂である北峰です。山頂の広場からは、稲村ケ崎方面の眺望が開けています。天候の条件が良ければ、富士山も拝むことができます。山頂には、お地蔵さまと、2基の五輪塔のような石塔が建っています。
浄明寺緑地・北峰・大町方面の分岐でもある南峰
衣張山の山頂から浄明寺緑地方面に進むと、もう一つのピークである南峰の広場に着きます。こちらにも、北峰と同じようにお地蔵さまと五輪塔のような石塔が建っています。
南峰からは、浄明寺緑地方面の他、鎌倉の大町方面(釈迦堂切通・大町釈迦堂口遺跡の南側)に抜けることもできます。
南峰から大町側登山道入口に降りる分岐は少々分かりにくいですが、南峰広場の少し北峰寄りにあります。
一方、大町側登山道入口から衣張山へ登る場合は、釈迦堂切通の200mほど手前の交差点を右折して少し行くと案内板があるため、降り口よりは分かりやすいです。このルートは、主要な登山道とは言えないため、少々荒れている場所があります。