【三浦半島】横須賀・三浦・葉山・逗子・鎌倉の史跡

スポンサーリンク
三浦

和田義盛の碑(和田義盛旧里碑)・和田八雲神社

和田八雲神社の境内に建つ「和田義盛わだ よしもりの碑」は、鎌倉で非業の最期を遂げた義盛をしのんで、1921年(大正10年)、義盛の居館(屋敷)があったとされる場所の近辺に建立されたものです。和田義盛...
三浦

和田城跡(和田城址)

平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した武将・和田義盛わだ よしもりは、現在の三浦市初声はっせ町和田周辺を所領としていました。和田義盛の父・杉本義宗は鎌倉の杉本城(杉本寺の裏山)を本拠地としていました...
鎌倉

来迎寺(材木座)

来迎寺は、鎌倉幕府創設の礎となった三浦大介義明の霊を弔うために、源頼朝が開基となって能蔵寺を建立したのがはじまりです。はじめは真言宗の寺院でしたが、頼朝の死後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改...
葉山

鐙摺城跡・旗立山(軍見山)

「鐙摺(あぶずり)」は、現在の逗子市との境にある葉山町の古い地名です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、このあたりに、三浦一族が支城の一つ鐙摺城を構えていました。城主は、このあたりを治めていた三浦一...
鎌倉

佐助稲荷神社

佐助稲荷神社さすけいなりじんじゃは、伊豆に流されていた源頼朝の夢枕に老翁の姿で現われて、平家討伐の挙兵を促した神様「かくれ里の稲荷」が祀られています。参道に並ぶ無数の朱色の鳥居と、境内のいたると...
鎌倉

由比若宮(元八幡、元鶴岡八幡宮)

由比若宮ゆいわかみや(元八幡)は、源頼朝の5代前の祖先にあたる源頼義が、京都の石清水八幡宮から河内源氏の氏神である八幡神を勧請して鎌倉の由比郷に祀ったのがはじまりです。戦の鎮圧に中心的役割を果た...
横須賀

薬王寺旧跡・三浦義澄の墓

三浦義澄みうら よしずみ(幼名:荒次郎、次郎)は、鎌倉幕府創設期の三浦一族の当主です。荒次郎や次郎といった幼名からも分かるように、三浦義澄は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵時に衣笠城で討ち死にし...
鎌倉

三浦泰村一族の墓

源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)の隣りにある、北条義時法華堂跡(北条義時の墓)の山すそに、三浦泰村一族の墓と伝わるやぐらがあります。 三浦泰村みうら やすむらは鎌倉時代前期の武将・三浦義村の次男で...
鎌倉

大江広元の墓・毛利季光の墓・島津忠久の墓

源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)の隣りにある、北条義時法華堂跡(北条義時の墓)の奥の階段を登って行くと、大江広元、毛利季光、島津忠久各氏の墓が並んで建っています。階段は2つに分かれていて、左側を登ると大...
鎌倉

寿福寺・源実朝と北条政子の墓

寿福寺じゅふくじ(壽福寺)は、源頼朝の死の翌年に、北条政子が頼朝の菩提を弔うために開いた禅宗寺院です。山号になっている「亀谷山」は、寺の背後にある源氏山の別名です。鎌倉五山第三位に列せられ、最盛...
2021.12.12
横須賀

燈明堂跡&燈明堂海岸

燈明堂とうみょうどうは、1869年(明治2年)に日本初の洋式灯台として初点灯した観音埼灯台ができるまで、東京湾(浦賀水道)を航行する船舶の安全を支えた和式灯台です。1648年(慶安元年)に江戸幕府に...
2021.12.08
横須賀

走水低砲台跡&旗山崎公園(御所ヶ崎)

走水低砲台はしりみずていほうだいは、明治時代に旧日本軍が建設した、東京湾を防衛するための砲台の一つです。猿島砲台や観音崎砲台群などとともに、東京湾要塞を構成する砲台の一つでした。砲座跡、弾薬庫などの...
スポンサーリンク
error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました