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東勝寺跡&北条高時腹切りやぐら | 執権北条氏の菩提寺で一族終焉の地

東勝寺跡・目立った遺構は確認できない(撮影日:2021.09.07) 鎌倉
東勝寺跡・目立った遺構は確認できない(撮影日:2021.09.07)

東勝寺とうしょうじは、鎌倉幕府第2代執権・北条義時よしときの長男で第3代執権・泰時やすとき寿福寺じゅふくじの開山として知られる高僧・栄西えいさいの弟子である退耕行勇たいこうぎょうゆうを招いて開いた、北条得宗(嫡流)家の菩提寺です。北条得宗家の屋敷(小町邸)があった場所の東側に位置していて、背後は葛西ヶ谷かさいがやつの谷に囲まれ、前方(西側)は滑川が堀の役割をする自然の要塞の地にありました。

1333年(元弘3年)に新田義貞が鎌倉を攻めた際の最終決戦では、文字通り東勝寺が最後の砦となり、この地で北条一族は滅びました。第14代執権・北条高時をはじめとした北条一族とその家臣たち870人余は、最期を悟ると、東勝寺で自害したと言われます。
寺の背後の山すそには、北条高時の腹切りやぐらと伝わるやぐらが残っています。

山号青龍山せいりゅうざん
宗派臨済宗・密教(禅密兼修)
寺格関東十剰第三位(最高位)
本尊
創建1237年(嘉禎3年)ごろ
開山退耕行勇たいこうぎょうゆう
開基北条泰時やすとき
北条高時腹切りやぐら・2021年9月上旬現在、やぐら周辺は立入禁止(撮影日:2021.09.07)
北条高時腹切りやぐら・2021年9月上旬現在、やぐら周辺は立入禁止(撮影日:2021.09.07)
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執権北条氏滅亡後の東勝寺

東勝寺は1333年(元弘3年)の東勝寺合戦で、北条得宗家の屋敷とともに焼失しました。室町時代以降も何度か復興と廃絶をくり返し、最終的には1573年(元亀4年)ごろに廃寺になったと伝えられています。
また、逗子・池子の東昌寺とうしょうじは、東勝寺合戦の戦火の中、東勝寺の住職・信海が本尊の大日如来像を抱えて山道伝いに逃げ延びて、再建した寺であると伝えられています。

東勝寺に隣接する北条得宗家の屋敷があった場所には、後醍醐天皇北条一族の霊を弔うために、宝戒寺ほうかいじを建立しました。宝戒寺は室町時代以降も存続して、現在では萩の寺として親しまれています。

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北条氏ゆかりの地であることが証明された発掘調査

東勝寺跡では1975年(昭和50年)以降、何度か発掘調査が行われていて、北条氏の家紋である三鱗文のついた瓦や青磁器や天目茶碗などの貴重な中国製陶磁器などが発見されています。また、石畳の坂道や石塁状の石垣といった城郭的遺構も発見されています。
発掘調査の後は埋め戻しされていて、現在は広場になっています。1998年に国の史跡に指定されましたが、一般には開放されておらず、東勝寺跡の説明を記した案内板の他は、フェンスの外から境内跡の敷地の一部を確認することができるのみになります。

東勝寺跡とその案内板(撮影日:2021.09.07)
東勝寺跡とその案内板(撮影日:2021.09.07)
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東勝寺跡&北条高時腹切りやぐら周辺の見どころ

DATA

住所 鎌倉市小町3丁目
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約15分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『大学前』下車徒歩約7分

駐車場 なし(近隣にコインパーキングあり)
電話番号 0467-61-3857(鎌倉市 教育文化財部文化財課)
ウェブサイト https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/3213
※掲載の内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。

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